恐らく何者かがうしろの山伝いに忍び込んで、自分の立った隙をみて死骸を担ぎ去ったのであろうと云うのである。
成程この寺のうしろには山がある。土地では山と呼んでいるが、実は小高い丘に過ぎない。それでも古木や雑草がおい茂って、人を化かすような古狢《ふるむじな》が棲んでいるなどという噂もある。その山を越えると、大きな旗本屋敷が三、四軒つづいている横町へ出る。平生《へいぜい》は往来も少なく、昼でも寂しい場所であるから、この方面から忍び込んで死骸をかつぎ出すようなことが無いとは云えない。
それにしても、その死骸を担ぎ去るほどならば、縛られ地蔵に縛り付けて置く必要もあるまい。一旦その死骸をさらして見せて、再びそれを奪って行ったのは、何かの仔細が無ければなるまい。暮れかかる森のこずえを仰ぎながら、半七はしばらく思案に耽っていると、その知恵の無いのを嘲《あざけ》るように、ゆう鴉が一羽啼いて通った。
引っ返して庫裏へはいって、半七らは土間をひと通り見まわしたが、何かの手がかりになるような物も見いだされなかった。いつの間にか日も落ちて、あたりはだんだんに薄暗くなって来たので、きょうの詮索はこれまでとして、二人は寺を出た。門を出るときに見かえると、花屋の前にはかのお住が立っていた。奥の暗い行燈の下で夕飯を食っている五十前後の男が、お住の父の定吉であるらしかった。
「親分。どうですね」と、小半丁もあるき出した時に亀吉は訊いた。
「あの住職め、いやに殊勝《しゅしょう》らしく構えているので、なんだか番狂わせのような気もしたが、あいつはやっぱり狸坊主だな」と、半七は笑った。「源右衛門という寺男は駈け落ちをしたと云うが、可哀そうに、もう此の世にはいねえだろう」
「坊主共が殺《や》ったのかね」
「手をおろした訳でもあるめえが、どうも生きちゃあいねえらしい。そこで、亀。おれはこれから真っ直ぐに帰るから、おめえは門前町をうろ付いて、あの寺の奴らについて何か聞き込みはねえかどうだか探ってくれ。それから、小坊主、智心とか云ったな。あいつの事を調べてくれ」
「小坊主……。初めから仕舞いまで黙って突っ立っていた奴でしょう」
「そうだ。どうもあいつの眼つきが気に入らねえ。黙ってぼんやり突っ立っているように見せかけて、あいつの眼はなかなか働いていた。あいつ、まだ十六、七らしいが、唯者じゃあねえ。そのつもりで、あいつの身許や行状を洗ってくれ」
幾らかの小遣いを亀吉に握らせて、半七は別れた。神田へ帰る途中で、半七は地蔵堂の抜け道について考えた。寺男の源右衛門はこの抜け道のなかで命を果たしたのであろうと想像された。女は蘇生して身を隠したのか、死骸を運び去られたのか、その謎は容易に解かれなかった。
暁《あ》け方に大雨が降って、あくる朝は綺麗に晴れた。やがて亀吉は顔を出したが、彼はあまり元気が好くなかった。
「あれから引っ返して寺門前へ行って、食いたくもねえ蕎麦屋へはいったり、飲みたくもねえ小料理屋へはいったりして、出来るだけ手を伸ばして見ましたが、思わしい掘出し物もありませんでした」
「そこで、大体どんなことだ」と、半七は訊いた。「あいつらも利口だから、近所へは尻尾《しっぽ》を出さねえかも知れねえ」
「まあ、聞き出したのはこれだけの事です」と、亀吉は話し出した。「住職の祥慶というのは京都の大きい寺で修行したこともあって、なかなか学問も出来るし、字なんぞも能く書くそうです。檀家の気受けも好し、別に悪い評判も無いと云います。俊乗という坊主は男がいいので、門前町の若い女なんぞに騒がれているそうですが、これも今までに悪い噂を立てられた事はないと云います。これじゃあみんな好い事ずくめで、どうにもなりません。近所じゃあ山師坊主だなんて云うものは一人もありませんよ」
「小坊主はどうだ」
「小坊主は十六で年の割には体も大きく、見かけは頑丈そうですが、ふだんから薄ぼんやりした奴で、別にこうと云うほどのこともないそうです。それから了哲という納所坊主、こいつも少し足りねえ奴で、悪いこともしねえが酒を飲む。まあ、こんな事ですね」
「花屋の親子は……」
「花屋の定吉、これも近所で評判の正直者ですが、可哀そうにひどい吃で、満足に口が利けねえ位だそうです。娘のお住はなかなか親孝行で、人間も馬鹿じゃあねえと云います」
こう列べてみると、正直か薄馬鹿か、揃いも揃った好人物で、一人も怪しい者はない。亀吉が詰まらなそうに報告するのも無理はなかった。それでも半七は根よく詮議した。
「そこで、寺男はどうだ」
「源右衛門ですか。こいつは善いか悪いか、どんな人間だか能くわからねえ。なにしろ恐ろしい偏人で、あしかけ三年、丸二年もあの寺の飯を食っていながら、近所の者と碌々に口を利いた事がねえという位で……」
「ふうむ」と、半七も首をかしげた。「仕様のねえ奴だな」
「まったく仕様のねえ奴らで、どうにも斯うにも手の着けようがありませんよ」と、云いかけて亀吉は思い出したように声を低めた。「唯ひとつ、こんな事を小耳に挟《はさ》んだのですが……。なんでもひと月ほど前の事だそうで、門前町のはずれに住んでいる塩煎餅屋のおかみさんが、茗荷谷の方へ用達しに出ると、その途中で花星のお住を見かけたのですが、お住は二十歳《はたち》ぐらいの小綺麗な田舎娘と一緒に歩いていたそうです」
「その田舎娘というのは縛られていた女か」と、半七はあわただしく訊き返した。
「さあ、それが確かに判らねえので……」と、亀吉は小鬢《こびん》をかいた。「煎餅屋のかみさんは例の一件を聞いた時、そんなものを見るのも忌《いや》だと云って、近所でありながら覗きにも行かなかったので、同じ女かどうだか判らねえと云うのですよ。もし同じ人間なら面白いのですが……」
「同じ人間だろう。いや、同じ人間に相違ねえ」
「そうでしょうか。かみさんの話じゃあ、お住は薄あばたこそあれ、容貌《きりょう》は悪くねえ。連れの娘はあばたも無し、容貌もいい、顔立ちが肖《に》ているので、ちょいと見た時には姉妹《きょうだい》かと思った……」
「おい、亀。しっかりしてくれ」と、半七は笑い出した。「おめえにも似合わねえ。それだけ種が挙がっているなら、なぜもうひと息踏ん張らねえ。よし、よし。おれがもう一度出かけよう」
「出かけますかえ」
「むむ。一緒に来てくれ」
五ツ半(午前九時)頃に二人は再び小石川へ出向いた。その途中で何かの打ち合わせをして、高源寺の門前に行き着くと、地蔵堂はきのうの通りに鎖《とざ》されていた、門内にはいると、花屋の定吉と納所の了哲が鋤《すき》や鍬《くわ》を持って何か働いていた。
「なにを働いているのです」と、半七は近寄って声をかけた。
二人は不意に驚かされたように顔を見合わせていた。殊に定吉は吃であるから、こういう場合、すぐに返事は出ないらしい。了哲も渋りながら答えた。
「けさの雨で、ここらの土が窪《くぼ》みましたので……」
「ははあ、土が窪んだので、埋めていなさるのか」
云いながら眼を着けると、土はところどころ落ちくぼんで、それがひと筋の道をなしているように見られた。更に眼をやると、その道は墓場につづいて、ある墓の前に止まっているらしい。古い墓の石塔は倒れていた。
「もし、この墓は無縁ですかえ」
「そうです」と、了哲はうなずいた。
半七は引っ返して花屋の前に来ると、お住は奥から不安らしい眼をして覗いていた。
「おい、姐《ねえ》さん。ちょいと顔を貸してくれ」
お住を誘い出して、半七は墓場のまん中へ行った。そこには大きい桐の木が立っていた。
四
「おい、お住。おめえの姉さんは何処にいる」と、半七はだしぬけに訊いた。
お住は黙っていた。
「隠しちゃあいけねえ。ひと月ほど前に、おめえが姉さんと一緒に茗荷谷を歩いていたのを、おれはちゃんと見ていたのだ。その姉さんは何処にいるよ」
お住はやはり黙っていた。
「姉さんは殺されて、地蔵さまに縛り付けられていたのだろう」
お住ははっ[#「はっ」に傍点]としたように相手の顔を見上げたが、また俄に眼を伏せた。
「その下手人《げしゅにん》をおめえは知っているのだろう。おれが仇を取ってやるから正直に云え」
お住は強情に黙っていた。
「あの無縁の石塔を引っくり返して、その下から抜け道をこしらえて、地蔵を踊らせたのは誰だ。おめえの姉さんも係り合いがあるだろう。姉さんの色男は誰だ。あの俊乗という坊主か」
お住はまだ俯向いていた。
「俊乗が姉さんを絞めたのか。一体おめえの姉さんは生きているのか、死んだのか」と、半七は畳みかけて訊いた。「おめえはふだんから親孝行だそうだが、正直に云わねえとお父《とっ》さんを縛るぞ」
お住は泣きそうになったが、それでも口をあかなかった。
「おめえと従兄弟《いとこ》同士の源右衛門はどうした。駈け落ちをしたと云うのは嘘で、あの抜け道のなかに埋《うま》って死んだのだろう。その死骸はどこへ隠した」
お住は飽くまで黙っていたが、嘘だとも云わず、知らないとも云わない以上、無言のうちに、それらの事実を認めているように思われたので、半七は肚《はら》のなかで笑った。
「これほど云っても黙っているなら仕方がねえ。ここでいつまで調べちゃあいられねえ。親父もおめえも連れて行って、調べる所で厳重に調べるからそう思え。さあ、来い」
幾らかの嚇しもまじって、半七はお住を手あらく引っ立てようとする時、ふと気がついて見かえると、うしろの大きい石塔の蔭から小坊主の智心が不意にあらわれた。彼は薪割《まきわ》り用の鉈《なた》をふるって、半七に撃ってかかった。半七は油断なく身をかわして、その利き腕を引っとらえ、まずその得物《えもの》を奪い取ろうとすると、年の割に力の強い彼は必死に争った。
そればかりでなく、今までおとなしかったお住も猛然として半七にむかって来た。彼女はそこらに落ちている枯れ枝を拾って叩き付けた。苔《こけ》まじりの土をつかんで投げつけた。眼つぶしを食って半七も少しく持て余しているところへ、それを遠目に見た亀吉が駈けて来た。彼は先ずお住を突き倒して、さらに智心の襟首をつかんだ。御用聞き二人に押さえられて、智心は大きい眼をむき出しながら捻じ伏せられた。
「飛んでもねえ奴だ。縛りましょうか」と、亀吉は云った。
「そんな奴は何をするか判らねえ。一旦は縄をかけて置け」
智心は捕縄をかけられた。二人はお住と智心を追い立てて、もとの所へ戻って来たが、もう猶予は出来ないので、さらに了哲を追い立てて本堂へむかうと、本堂の仏前には住職の祥慶が経を読んでいた。半七らの踏み込んで来たのを見て、彼はしずかに向き直った。
「昨日《さくじつ》といい、今日《こんにち》といい、御役の方々、御苦労に存じます。大かた斯うであろうと察しまして、今朝《こんちょう》は読経して、皆さま方のお出でをお待ち申して居りました」
案外に覚悟がいいので、半七らも形をあらためた。
「詳しいことは後にして、ここでざっと調べますが、まず第一に地蔵さまの一件、それはお住持も勿論御承知のことでしょうね」と、半七は先ず訊いた。
「承知して居ります」と、祥慶は悪びれずに答えた。「わたくしは十四年前から当寺の住職に直りました。この高源寺は慶安年中の開基で、相当の由緒もある寺でござりますが、先代からの借財がよほど残って居ります上に、大きい檀家がだんだん絶えてしまいました。火災にも一度|罹《かか》りまして、その再建《さいこん》にもずいぶん苦労いたしました。左様の次第で、寺の維持にも困難して居ります折り柄、役僧の延光から縛られ地蔵を勧められました。林泉寺の縛られ地蔵は昔から繁昌している。当寺でもそれに倣《なら》って、縛られ地蔵を始めてはどうかと云うのでござります。こころよからぬ事とは存じながら、何分にも手もと不如意《ふにょい》の苦しさに、万事を延光に任せました。さりとて今まで有りもしなかった地蔵尊を俄かに据え置くのも異《い》なものであり、且は世間の信仰もあるまいという延光の意見で、深川寺の石屋
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