をかわして、その利き腕を引っとらえ、まずその得物《えもの》を奪い取ろうとすると、年の割に力の強い彼は必死に争った。
 そればかりでなく、今までおとなしかったお住も猛然として半七にむかって来た。彼女はそこらに落ちている枯れ枝を拾って叩き付けた。苔《こけ》まじりの土をつかんで投げつけた。眼つぶしを食って半七も少しく持て余しているところへ、それを遠目に見た亀吉が駈けて来た。彼は先ずお住を突き倒して、さらに智心の襟首をつかんだ。御用聞き二人に押さえられて、智心は大きい眼をむき出しながら捻じ伏せられた。
「飛んでもねえ奴だ。縛りましょうか」と、亀吉は云った。
「そんな奴は何をするか判らねえ。一旦は縄をかけて置け」
 智心は捕縄をかけられた。二人はお住と智心を追い立てて、もとの所へ戻って来たが、もう猶予は出来ないので、さらに了哲を追い立てて本堂へむかうと、本堂の仏前には住職の祥慶が経を読んでいた。半七らの踏み込んで来たのを見て、彼はしずかに向き直った。
「昨日《さくじつ》といい、今日《こんにち》といい、御役の方々、御苦労に存じます。大かた斯うであろうと察しまして、今朝《こんちょう》は読経して、皆さま方のお出でをお待ち申して居りました」
 案外に覚悟がいいので、半七らも形をあらためた。
「詳しいことは後にして、ここでざっと調べますが、まず第一に地蔵さまの一件、それはお住持も勿論御承知のことでしょうね」と、半七は先ず訊いた。
「承知して居ります」と、祥慶は悪びれずに答えた。「わたくしは十四年前から当寺の住職に直りました。この高源寺は慶安年中の開基で、相当の由緒もある寺でござりますが、先代からの借財がよほど残って居ります上に、大きい檀家がだんだん絶えてしまいました。火災にも一度|罹《かか》りまして、その再建《さいこん》にもずいぶん苦労いたしました。左様の次第で、寺の維持にも困難して居ります折り柄、役僧の延光から縛られ地蔵を勧められました。林泉寺の縛られ地蔵は昔から繁昌している。当寺でもそれに倣《なら》って、縛られ地蔵を始めてはどうかと云うのでござります。こころよからぬ事とは存じながら、何分にも手もと不如意《ふにょい》の苦しさに、万事を延光に任せました。さりとて今まで有りもしなかった地蔵尊を俄かに据え置くのも異《い》なものであり、且は世間の信仰もあるまいという延光の意見で、深川寺の石屋松兵衛という者に頼みまして、一体の地蔵尊を作らせ、二年あまりも墓地の大銀杏《おおいちょう》の根もとに埋めて置きまして、夢枕|云々《うんぬん》と申し触らして掘り出すことに致しました。それが幸いに図にあたりまして、三、四年のあいだはなかなかの繁昌で、賽銭そのほか収入《みいり》もござりました」
「その延光という役僧はどうしました」
「あるいは仏罰でもござりましょうか。昨年の二月、延光は流行《はやり》かぜから傷寒《しょうかん》になりまして、三日ばかりで世を去りました。延光が歿しましたので、唯今の俊乗がそのあとを継いで役僧を勤め居ります」
「縛られ地蔵もだんだんに流行らなくなったので、今度は地蔵を踊らせる事にしたのですね。それはお前さんの工夫ですかえ」
「いえ、わたくしではありません」
「俊乗ですか」
「俊乗でもありません。石屋の松蔵……松兵衛のせがれでござります。松兵衛は悪い者ではありませんが、伜の松蔵は博奕に耽って、いわばごろつき風の良くない人間でござります。それが縛られ地蔵の噂を聞き込みまして、当寺へ強請《ゆすり》がましい事を云いかけて参りました。あの地蔵は自分の家《うち》で新らしく作ったもので、墓地の土中から掘り出したなどというのは拵え事である。自分の口からその秘密を洩らせば、世間の信仰が一時にすたるばかりか、当寺でも定めし迷惑するであろうと云うのでござります。飛んだ奴に頼んだと今さら後悔しても致し方がありません。何分こちらにも弱味がありますので、延光の取り計らいで幾らかずつの金をやって居りました。松蔵のような悪い奴に魅《み》こまれましたのも、やはり仏罰であろうかと思われます」
 祥慶は数珠《じゅず》を爪繰りながら暫く瞑目した。うしろの山では鵙《もず》の声が高くきこえた。
「そのうちに延光は歿しました。そのあとに俊乗が直りますと、今度は俊乗を相手にして、松蔵は時々に押し掛けてまいります。俊乗は年も若し、根が正直者でござりますから、松蔵のような奴に責められて、ひどく難儀して居るようでござります。わたくしも可哀そうに思いましたが、どうすることも出来ません。そこへ又ひとり、悪い奴があらわれまして、いよいよ困り果てました」
「その悪い奴は女ですかえ」と、半七は、喙《くち》を容れた。
「はい。お歌と申す女で……」と、老僧はうなずいた。
 お歌は花屋の定吉の姉娘であった。父の定吉
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