んで、細い針を畳越しに突きあげ、むしろの上に投げられた賽を自由に踊らせるのである。松蔵は穴熊の手だてを応用して、土の下から地蔵を踊らせようとしたのてある。
最初の試みに成功したので、地蔵を踊らせるのは源右衛門の役になった。小坊主の智心も時時は面白半分に手伝った。それが又、図にあたって、一旦は繁昌したが、地蔵が踊るなどは奇怪であるというので、寺社方から何かの沙汰がありそうな噂もきこえた。その詮議がむずかしくなっては面倒であるから、もうそろそろ見切りを付けようかと云っている時、八月十二日から十三日にかけて大風雨《おおあらし》がつづいた。
十四日はぬぐったような快晴であったので、月の昇る頃から源右衛門はいつものように抜け道へくぐり込んだ。しかも地蔵は踊らないで、今夜の参詣人を失望させた。源右衛門も再び出て来なかった。不思議に思って、智心をくぐらせてやると、抜け道は途中で行き止まりになっていた。二日つづきの風雨に地面の土がゆるんで、あたかも源右衛門の上に落ちかかったらしく、彼はそのまま生き埋めの最期《さいご》を遂げたのであった。
その報告におどろかされて、寺中の者共は駈け付けた。了哲と定吉が手伝って、ともかくも源右衛門を穴から引き出したが、彼はもう窒息していた。もちろん表向きにすべき事ではないので、世間へは駈け落ちと披露して、その死骸は墓地の奥に埋葬した。さなきだに見切り時と思っているところへ、こんな椿事が出来《しゅったい》したのであるから、地蔵は再び踊らなくなった。
抜け道は何とか始末しなければならないと思いながら、まだそのままになっていると、けさの大雨で地面の土がまたもや崩れ落ちた。今度はその道筋のところどころに窪みを生じて、あたかも抜け道の通路を示すように見えて来たので、もう打ち捨てて置かれなくなった。他人に覚られては大事であると、了哲らがその穴埋めに取りかかっている処へ、半七と亀吉が再び乗り込んで来たのであった。
これで地蔵の問題はひと通り解決したが、お歌の一件がまだ残っている。半七は更に訊いた。
「地蔵さまに縛られていた女はお歌で、その下手人をお前さんは御承知なのでしょうね」
「こうなれば何もかも包まずに申し上げます。お歌を絞め殺したのは智心でござります」と、祥慶は説明した。「智心は孤児《みなしご》で十歳《とお》のときから当寺に養われて居りますが、生まれ
前へ
次へ
全23ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング