々に取りのけろと申し渡されました。
世話役の者共も恐れ入って、委細承知のお請けをしましたが、元来この造り物は、江戸の講中《こうちゅう》からの奉納ではなく、京都の講中の供え物でした。その前年、即ち文化八年の春、大阪西の宮で四十八年目の開帳があった時に、境内に小屋を建てて種々の造り物を飾りましたが、そのなかには金銀又は銭を用いたものがあって、それが評判になったので、今度の兜もそれを真似たのです。西の宮の時には別にお差し止めの沙汰もなかったので、今度も大丈夫だろうと多寡をくくって持ち出して来たところが、右の次第で金銀だけは取りのけろと云うことになった。金銀を外してしまっては、兜も光りを失うわけですが、どうも致し方がありません。それはまあそれとして、差しあたり困るのはその修繕です。前立てや吹き返しの金銀を取りのけて、小銭でその穴埋めをするというのがむずかしい。京都の職人の細工ですから、その土地ならば早速に何とかなるのでしょうが、江戸にそんな職人があるかどうかが問題です。
兜をこしらえるのは兜師の職ですが、普通の兜師のところへ持ち込んでも、そんな細工を引き受ける筈はありません。金銀細工は錺屋
前へ
次へ
全26ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング