古参の子分ならば半七の顔を見識っているのであったが、あいにく古参の連中は居合わさず、駈け出しの若い者ばかりが飛んで来たので、こんな間違いが出来《しゅったい》したのであった。
 さつきの女房の云った通り、この白井屋ではお浜と甚五郎を預かっていたのであるが、きのうの夕方、戸塚の市蔵の子分が来て、牢抜けの金蔵が此の頃ここらに立ち廻っているという噂がある。ここの家は客商売であるから、金蔵のような奴がはいり込まないとは限らない。それらしい奴を見たらばすぐに内通しろと云って、彼の人相書を見せて行った。それを聞いて、白井屋では心配した。
 金蔵はなんの為にここらを徘徊しているのか。もし三甚のあとを尾《つ》けて来たのならば、大いに警戒しなければならないと云うので、さらに甚五郎らを近所の植木屋に忍ばせると、その翌日、あたかも半七がたずねて来たのである。こんにちと違って、その頃の高田あたりは江戸の田舎であるから、半七の名も知らず、顔も識らない。その半七が頻りに三甚らの詮議をするので、白井屋の亭主は一種のうたがいを起こした。殊に金蔵がここらに立ち廻るという噂を聞いている矢先きであるだけに、金蔵がいい加減の名を騙《かた》ってここへ押し掛けて来たのではないかと疑ったのである。
 もう一つ、間違いの種となったのは、半七と金蔵とが年頃といい、人相や格好までが可なりに似通っていることであった。その時代の人相書などは極めて不完全なものであるから、疑いの眼をもって見れば、鷺を烏と見誤るようなことが無いとは云えなかった。雑司ヶ谷から帰って来た白井屋の女房は、遠目《とおめ》に半七をうかがって一途《いちず》にそう信じた。亭主も同じ疑いを懐《いだ》いていたので、夫婦は相談の上で戸塚の市蔵に密告した。
 市蔵がすぐに出て来れば、もちろん何の間違いも起こらなかったのであるが、市蔵も留守、古参の子分も留守、そこに居合わせた若い子分二人があっぱれの功名手柄をあらわすつもりで、すぐに駈けつけて来た。相手は牢抜けの大物であると云うので、場馴れない彼等は少しく逆上《のぼ》せ気味で、なんの詮議もなしに召捕ろうとしたのである。科人が人違いと誤魔化すのは珍らしくないので、いかに半七が人違いと呶鳴っても、彼等は耳にもかけずに押さえ付けたのである。
 数ある捕物のうちには、人違いの仕損じもしばしばある。しかも同商売の岡っ引を縛って勝鬨《かちどき》を揚げていたのは、戸塚の子分らの大失敗であった。やがて駈けつけて来た市蔵は、半七の顔を見てびっくりした。
「馬鹿野郎」と、彼は子分を叱りつけた。「飛んだ事をしやがる。早く縄を解け」
 半七の縄はすぐに解かれた。事の仔細が判明して、子分らは閉口した。白井屋の夫婦も縮みあがった。
「三河町にゃあ何とあやまっていいか判らねえ」と、市蔵もひどく恐縮していた。「こんなぼんくら野郎を叱ってみても追っ付かねえ。まあ、高田馬場の狐につままれたと思って料簡《りょうけん》しておくんなせえ」
「それもこれも商売に身を入れるからの事だ。あんまり叱らねえがいい」
 ばかばかしいとは思いながら、半七も仲間同士の義理として、先ずそう云うのほかはなかった。市蔵は子分らを散々あやまらせて、それから近所の髪結いを呼んで、半七の髪を結い直させた。白井屋も恐れ入って、あらん限りの肴を運び出して来た。一座は打ち解けて、笑い声が高くなった。そのうちに、市蔵は少しくまじめになって云い出した。
「この野郎共がのぼせるのも、まんざら理窟がねえ訳でもねえので……。石町の金蔵はどうもこの辺に立ち廻っているらしい。と云うのは、ここらに遊んでいる本助という奴が早稲田の下馬地蔵の前を通りかかると、摺れ違った男がある。むこうは顔をそむけて怱々に行き過ぎてしまったが、確かに金蔵に相違ねえと云う。なにぶん聞き捨てにもならねえので、きのうから手配りをしていると、その最中にお前さんが出て来たので、飛んでもねえ大しくじりをやったわけだが……。金蔵の奴、なんでここらをうろ付いているのか、それが判らねえ。今まで調べたところじゃあ、ここらに身寄りもねえらしい」
「成程、わからねえな」
 半七はいい加減に調子を合わせていたが、この話の様子では、金蔵は執念ぶかく三甚を付け狙っているらしくも思われた。市蔵はその事情を知らないようであるから、何かの心得のために話して聞かそうと思ったが、それを云えば三甚の器量を下げることになる。若い者に恥をかかせるのも可哀そうだと思って、半七は黙っていた。
 たんとも飲まない半七は、好い頃に座を起とうと思ったが、市蔵が如才なく引き留めて帰さないので、とうとうここに小半日も居据わってしまった。市蔵は子分に送らせると云ったが、まだ明るいので半七は断わって出た。
 出るときに、白井屋の亭主を呼んで、半七は小声で三甚の隠れ家を訊くと、今度は亭主も安心して正直に教えた。お浜と甚五郎はここから一丁ほども距れた植木屋新兵衛という者の家に忍んでいるのであった。
 馬場に近いところには町屋《まちや》も続いているが、それが切れると一面の田畑である。そこらには蛙の声がみだれてきこえた。夏の日が落ちても、あたりはまだ薄明るい。半七は迷うことも無しに、植新の門口《かどぐち》へ行き着いた。
 門に大きい柳が立っている。それを目じるしに立ち寄ろうとして、半七は俄かに立ちどまった。どこから出て来たか知らないが、自分と同じ年頃らしい一人の男がひと足さきに来て、その門口に突っ立っているのであった。ここらの植木屋は厳重に垣を結わないで、表が植木溜めになっているのが多い。半七はその植木溜めの八つ手の葉かげに隠れて、男の挙動をうかがっていると、彼はしばらく内を覗いていたが、やがて柳の下をくぐってはいった。半七も抜き足をして其のあとを尾《つ》けた。
 唯の家と違って、こういう時には植木屋は都合がいい。半七はそこらに雑然と植えてある立ち木のかげに隠れながら、男のあとに付いてゆくと、彼は入口の土間に立って声をかけた。
「ごめんなさい」
「はい、はい」
 内からは女房らしい女が出て来た。
「こっちに芝口の三甚が来ているね」と、男は馴れなれしく云った。
「いいえ」
「隠しちゃあいけねえ」と、男は笑った。「ちょいと三甚に逢わせてくれ。おれは三河町の半七だ」
 半七はおどろいた。それと同時に、この偽者《にせもの》の正体も大かたは判った。半七は息を殺して窺っていると、偽の半七は又云った。
「三甚は神明前のさつきの娘と一緒にここに来ているだろう。それまで知っているのだから、胡乱《うろん》の者じゃあねえ。三河町の半七といえば、三甚もよく知っている筈だ、ちょいと呼んでくれ」
 女房がまだ躊躇しているので、男は焦れ出した。
「まだ判らねえのか。おれは半七だよ。三河町の半七だよ」
「うるせえな。半七はここにいるよ」と、半七は男の前にずっと出た。
 男はぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]として半七を見かえったが、彼もさすがに眼がはやい。たちまちに身をひるがえして、そこらの植木溜めの中へ飛び込んだかと思うと、枝をくぐり、葉をかき分けて、飛鳥のごとく表へ逃げ出した。半七もつづいて追って出たが、もう其の頃は往来もだんだんに薄暗くなっていた。
 こういう場合、ただ黙って追うよりも、声をかける方が相手の胆《きも》をひしぐことになる。半七はうしろから呶鳴った。
「石町の金蔵、待て。半七の眼にはいった以上は逃がさねえぞ」
 日が暮れると、ここらに往来は少ない。逃げる者は路をえらばず、田や畑のあいだをぐるぐると逃げまわって、穴八幡の近所へ来た頃には、あたりは全く暮れ切った。男は暗い女坂を逃げのぼるので、半七も根《こん》よく追って行ったが、坂上の手水鉢《ちょうずばち》のあたりで遂にその姿を見失った。
 こうと知ったら、市蔵の子分に送らせて来ればよかったと、今さら悔んでももう遅い。きょうは半七に取って、暦《こよみ》の善い日ではなかった。そこらの大樹の上で、彼を笑うような梟《ふくろう》の声がきこえた。

     六

「器量の悪い話をいつまで続けても仕方がありますまい。もうここらで御免を蒙りましょうか」と、半七老人は笑った。
「でも、ここまでじゃあ話が判りません」と、わたしは云った。「そこで、その金蔵はどうなりました」
「わたくしは穴八幡からすぐに戸塚の市蔵のところへ行って、植新へ立ち廻った奴は金蔵に相違ないと知らせると、それと云うので市蔵をはじめ、子分総出で探索にかかったのですが、金蔵のゆくえはどうしても知れないので、みんなむなしく引き揚げました。わたくしも係り合いですから、その晩は市蔵の家の厄介になって明くる朝ふたたび植新へたずねて行くと、三甚もお浜ももう居ないのです」
「どこへ行ったんです」
「一旦は白井屋から植新へ預けられたのですが、そこへ金蔵が押し掛けて行ったので、植新でも驚く、白井屋でも心配する、お浜は泣いて騒ぐ。そこで又、三甚とお浜を四つ家町の伊丹屋という酒屋へ預けることになりました。ここも白井屋の親類だそうです。三甚も気が弱いに相違ありませんが、なにしろお浜が心配して、気違いのように騒ぐので、それに引き摺られて逃げ廻ることにもなったのです。わたくしも忙がしい体で、三甚のあとを追い廻してばかりもいられませんから、もう思い切って神田へ帰りましたが、あとで聞くと、いや、どうも大変で……」
「なにが大変で……」
「なにがと云って……」と、老人は笑い出した。「その伊丹屋の近所へも金蔵らしい奴が立ち廻ったと云うので、三甚とお浜は四つ家町を立ち退いて、今度は板橋へ行く。その板橋へも金蔵が来たと云うので、今度はまた練馬へ行く。そこが又いけないと云って、今度は三河嶋へ行く。まるで大根か漬菜《つけな》でも仕入れて歩いているような始末で、まったく大笑いです。つまり疑心暗鬼《ぎしんあんき》とかいう譬えの通りで、怖いと思っているから、少し怪しい奴が立ち廻ると、それが金蔵らしく思われるのです。なにしろ小ひと月のあいだに、高田馬場から四つ家町、板橋、練馬、三河嶋を逃げまわって、松戸の宿《しゅく》まで行ったときに、金蔵が召捕られて先ず安心ということになりました。あははは。科人の逃げ廻るのは珍らしくないが、岡っ引がこれだけ逃げ廻るのは前代未聞で、二代目の三甚、いいお笑いぐさになってしまいました」
「そうでしょうね」と、わたしも笑った。「その金蔵はどこで挙げられたんです」
「いや、それに就いては三甚ばかりを笑ってもいられません。わたくしもお笑いぐさのお仲間入りで……。今もお話し申す通り、植新へ押し掛けて行った奴を一途《いちず》に金蔵と思い込んで、わたくしは一生懸命に追っかけましたが、実はそれも人違いでした」
「金蔵じゃあ無かったんですか」
「金蔵じゃあありませんでした」と、老人はまた笑った。「まあ、お聴きなさい。五月の末になって、例の神明の千次がわたくしの所へ来まして、金蔵は王子稲荷のそばの門蔵という古鉄買《ふるかねかい》の家に隠れていると注進しました。そこで、念のために善八を見せにやると、門蔵というのは古鉄買は表向きで、実は賍品買《けいずかい》と判りました。唯ここに不思議なことは、金蔵は右の足に踏み抜きをして、それがだんだんに膿《う》んで来て、ひと足も外へ出られないと云うのです。その金蔵がわたくしの名を騙《かた》って、植新へ押し掛けて行ったばかりか、びっこも引かずに逃げ廻っていたのは、どういうわけだか判らないが、ともかくも召捕れというので、わたくしが善八と松吉を連れて行くと、金蔵はまったく動かれないで寝ていたので、難なく引き挙げられました。こいつは伝馬町の牢屋をぬけ出して、まだ一丁も行かないうちに、折れ釘を踏んで右の足の裏を痛めたので、遠いところへ行くことが出来ない。ほかの者とは分かれわかれになって、京都無宿の藤吉に介抱されながら、ひとまず王子の門蔵の家へころげ込むと、その晩から踏み抜きの傷がひどく痛み出した。といって、表向きに医者を頼むわけにも行かないので、買い薬などをして塗っていたが、だんだんに
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