打ちした。「そんなことが長引いていると、三甚の為にならねえ。早く埒を明けてしまいてえものだ」
「何分よろしく願います」
 ここで女房を叱ったところで、どうにもならないので、半七は怱々にここを出た。それから京橋へ用達しに廻って、七ツ(午後四時)頃に神田の家へ帰ると、やがて善八が来て、牢抜けが又ひとり挙げられたと報告した。それは矢場村無宿の勝五郎で、小石川蓮華坂の裏長屋に忍んでいたのである。これで惣吉、松之助、勝五郎の三人は召捕られ、残るは兼吉、藤吉、金蔵の三人である。兼吉と藤吉はともあれ、金蔵のありかが知れない限りは、半七も肩抜けにならないように思われた。『正雪の絵馬』も埒が明かない。『吉良の脇指』も片付かない。そこへ又この一件が湧いて来たので、物に馴れている半七も少しうっとうしくなって来た。他人《ひと》と手柄を争って金蔵を召捕るにも及ばないが、それが長引いて三甚の迷惑をかもすのも可哀そうである。科人の仕返しを恐れて、女と一緒に逃げ隠れるとは、江戸の御用聞きの面汚《つらよご》しであると、頭から叱ってしまえばそれ迄であるが、先代の世話になった義理を思えば、なんとか彼を救ってやらなければならない。まず甚五郎に理解を加えて、芝口の自宅へ戻るように勧めなければならない。
 こう思って、半七はその翌日、高田馬場へ出向いた。きょうは朝から晴れて暑くなったが、ここらに多い植木屋の庭が見渡すかぎり青葉に埋められているのを、半七はこころよく眺めた。馬場に近いところには、小料理屋や掛茶屋がある。流れの早い小川を前にして、入口に小さい藤棚を吊ってあるのが白井屋と知られたので、半七は構わずに店にはいると、若い女中が奥の小座敷へ案内した。
「おかみさんはいるかえ」
「おかみさんは鬼子母神《きしもじん》さまへお詣りに行きました」
 それでは御亭主を呼んでくれと云うと、三十七、八の男が出て来た。
「いらっしゃいまし。俄か天気でお暑くなりました」と、彼は丁寧に挨拶した。
「早速だが、わたしは神明前のさつきから教えられて来たのだが……」
「はい」と、亭主は半七の顔をじっと視た。
「こっちにさつきの娘のお浜さんが来ているだろうね」
「いいえ」
「芝口の三甚の若親分が来ているだろうね」
「いいえ」
「隠しちゃあいけねえ。神明前のお力さんから頼まれて、確かにここの家《うち》にあずかってある筈だが……。隠さね
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