と云うことになれば、まず臍緒書を確かなものと認めるよりほかはありません。笠は他人の笠を借りることが無いとは云えない。また粗相で取り違えることもある。しかし他人《ひと》の臍緒書を身に着けているなぞは滅多に無いことです。なにしろ川越の屋敷の云うことも一応の理窟が立っているので、こちらでも押し返しては云えません。天狗の本元争いをすれば、宇都宮の人間が日光の天狗に攫われたと云う方が本当らしいようにも思われます。いずれにしても、本人の身許判然とするまでは、一時当方に預かり置くと云うことになりました。
 その日の夕六ツ頃に、町奉行所の指図で八丁堀同心坂部治助、これは『大森の鶏』でおなじみの人です。この坂部という人が、丁度そこに来合わせていた住吉町の竜蔵の子分二人を連れて、川越藩の中《なか》屋敷へ受け取りにゆくと、その帰り途で次郎兵衛が暴れ出した。それを取り鎮めようとしていると、俄かに旋風《つむじ》がどっと吹いて来て、あたりは真っ暗、そのあいだに次郎兵衛のすがたが見えなくなってしまったと云うのです。これも前の天狗から思い付いたことで、恐らく油断をして縄抜けをされたのでしょう。縄抜けでは自分たちの落ち
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