江戸城内へ忍び込み、御金蔵を破って小判四千両をぬすみ出したので、城内は大騒ぎ、専ら秘密にその罪人を詮議している最中、その翌日、則ち三月七日の昼八ツ(午後二時)頃に、何処をどうはいって来たのか、ひとりの男が本丸の表玄関前に飄然と現われて、詰めている番の役人たちにむかって『今日じゅうに天下を拙者に引き渡すべし。渡さざるに於いては天下の大変|出来《しゅったい》いたすべしと、昨夜の夢に東照宮のお告げあり、拙者はそのお使にまいった』と、まじめな顔をして、大きい声で呶鳴ったから、役人たちもおどろきました。
 その男は手織縞の綿入れを着て、脚絆、草鞋という扮装《いでたち》で、手には菅笠を持っている。年のころは三十前後、どこかの国者《くにもの》であることはひと目に判ります。こんな人間が江戸城の玄関へ来て、天下を渡せなぞという以上、誰が考えても乱心者としか思われません。この時代でも、相手が気違いとなれば役人たちの扱いも違います。本気の者ならばすぐに取り押さえて縄をかけるのですが、気違いである上に、仮りにも東照宮のお使と名乗る者を、あまり手荒くすることも出来ない。ともかくも一応はなだめて連れて行って、それ
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