あれほど云い聞かされたのに、番太の女房はゆうべも夫婦喧嘩をはじめて、女房はどこへか出て行ってしまったそうで……」
「きょうになっても帰らねえのか」
「帰りません。亭主の要作も心配して、もしや身でも投げたのじゃあ無いかと、町内の用を打っちゃって置いて、朝から探して歩いているのです」
「仕様がねえな」と、半七は舌打ちした。
 五平の話によると、お霜は八年振りで尋ねて来た弟をひどく可愛がっているらしく、その肩を持って亭主と衝突することがしばしばある。次郎兵衛の家出も、要作が無理押しに我意《がい》を押し通そうとしたからである。若い者をあたまから叱り付けて、なんでもおれの云う通りになれと云えば、若い者は承知しない。結局ここを飛び出して、天狗騒ぎなどを惹き起こす事にもなったのであると、お霜は亭主に食ってかかると、要作も黙っていない。本人の為にならない事は飽くまでも叱るのが兄の役目で、むやみに家出などをするのは本人の心得違いである。それが為に、おれ達もどんな巻き添えの憂き目を見るかも知れない。飛んだ弟を持って災難であると、要作は云う。この喧曄がたびたび繰り返された末に、ゆうべは最後の大衝突となったら
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