ような姿でした」
 老人の昔話はそれからそれへと続いて、わたし達のようにうっかりと通り過ぎて来た者は、却って老人に教えられることが多かった。そのうちに、老人はまた話し出した。
「いや、この川越に就いては一つのお話があります。あなた方はむかし一書き物を調べておいでになるから、定めて御承知でしょうが、江戸城大玄関先きの一件……。川越次郎兵衛の騒ぎです。あれもいろいろの評判になったものでした」
「川越次郎兵衛……何者です」
「御承知ありませんか。普通は次郎兵衛と云い伝えていましが、ほんとうは粂《くめ》次郎という人間で……」
 どちらにしても、私はそんな人物を知らなかった。それに関する記録を読んだこともなかった。
「御存じありませんか」と、老人は笑った。「なにしろ幕府の秘密主義で、見す見す世間に知れていることでも、成るべく伏せて置くという習慣がありましたから、表向きの書き物には残っていないのかも知れませんな。いつぞや『金の蝋燭』というお話をしたことがありましょう。その時に申し上げたと思いますが、江戸の御金蔵破り……。あの一件は安政二年三月六日の夜のことで、藤岡藤十郎と野州無宿の富蔵が共謀して、江戸城内へ忍び込み、御金蔵を破って小判四千両をぬすみ出したので、城内は大騒ぎ、専ら秘密にその罪人を詮議している最中、その翌日、則ち三月七日の昼八ツ(午後二時)頃に、何処をどうはいって来たのか、ひとりの男が本丸の表玄関前に飄然と現われて、詰めている番の役人たちにむかって『今日じゅうに天下を拙者に引き渡すべし。渡さざるに於いては天下の大変|出来《しゅったい》いたすべしと、昨夜の夢に東照宮のお告げあり、拙者はそのお使にまいった』と、まじめな顔をして、大きい声で呶鳴ったから、役人たちもおどろきました。
 その男は手織縞の綿入れを着て、脚絆、草鞋という扮装《いでたち》で、手には菅笠を持っている。年のころは三十前後、どこかの国者《くにもの》であることはひと目に判ります。こんな人間が江戸城の玄関へ来て、天下を渡せなぞという以上、誰が考えても乱心者としか思われません。この時代でも、相手が気違いとなれば役人たちの扱いも違います。本気の者ならばすぐに取り押さえて縄をかけるのですが、気違いである上に、仮りにも東照宮のお使と名乗る者を、あまり手荒くすることも出来ない。ともかくも一応はなだめて連れて行って、それ
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