して一町内が種々の迷惑を蒙《こうむ》るおそれがあるので、努めてそれを秘密にしているのであろうと、半七は推量した。
「いや、心配する事はあるめえ」と、半七は笑いながら云った。「お城の一件は次郎兵衛じゃあねえらしい」
「でも、笠に書いてあったという噂で……」と、五平は釣り込まれて口をすべらせた。
「笠は次郎兵衛の物だろうが、その本人じゃあねえようだ。第一に年頃が違っている。誰かが次郎兵衛の笠を持っていたらしい。そうと決まれば別に心配することはねえ、せいぜい叱られるぐらいの事で済むわけだ」
「そうでしょうね」と、五平もやや安心したようにうなずいた。「しかし親分、その次郎兵衛のゆくえが知れないので心配しているのです」
「むむ、そうだ」と、半七もうなずいた。「ここへ次郎兵衛が出て来て、その笠は誰に貸したとか、どこで取られたとか、はっきり云ってくれれば論はねえのだが、ゆくえが知れねえには困ったな。なんにも心あたりはねえのかえ」
「番太の夫婦も心あたりがないと云っています。なにしろ八年も逢わずにいた者が不意に出て来て、また不意に消えてしまったのですから、まったく天狗にでも攫われたようなもんで、なにが何だか判らないそうです。成程そうかも知れません」
「十九といえば、もう立派な若けえ者だ。いくら江戸馴れねえからと云って、まさかに迷子《まいご》になりもしめえ。たとい迷子になっても、今まで帰らねえという理窟はねえ。なにか姉夫婦と喧嘩でもして、飛び出したのじゃあねえか」
「いや、それですよ。要作は隠していますが、女房がちょいと話したところでは、次郎兵衛は義理の兄とすこし折りが合わない事があったようです。本人は江戸へ出て、武家奉公でもするつもりであったらしいのを、要作が承知しない。おまえ達が武家に奉公すると云えば先ず中間《ちゅうげん》だが、あんな折助《おりすけ》の仲間にはいってどうする。奉公をするならば、堅気の商人《あきんど》の店へはいって辛抱しろと云う。それが又、次郎兵衛の気に入らないので、そこに何かの捫著《もんちゃく》があったようですから、若い者の向う見ずに何処へか立ち去ってしまったのかも知れません。しかし江戸にはこれぞという知りびとも無し、本人も初めて出て来たのですから、ほかに頼って行くさきも無い筈だと云います。そのうちにお城の一件が知れたので、要作夫婦は蒼《あお》くなって、どうぞ自分
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