へ二人組の押込みがはいって、五十両ばかり取って行きました。番頭はなかなか落ち着いた男で、黙ってじっと見ていると、ゆうべも陽気がぽかぽかしたので、ひとりの奴が黒の覆面をぬいで、額《ひたい》の汗を拭いたり、頭を掻いたりした。すると、そいつの頭には髷が無かったと、こう云うのです」
「髷がなかった……」
「自分で切ったか、人に切られたか知らねえが、ともかくも髷が無かったと云うのです。髪切りのはやる時期でも、髪を切った押込みはめずらしい。それを眼じるしに御詮議を願いますと、番頭は訴えたそうです」
「実は午《ひる》過ぎに幸次郎が来て、ゆうべ浅草の代地のお園という囲い者の家へ、二人組の押込みがはいって、そいつらはお園の髷を切って行ったというのだ」
「やっぱり二人組ですかえ」と、亀吉は眼をひからせた。
「そうだ」と、半七はうなずいた。「だが、代地の二人組は女の髪を切って行った。金杉の二人組は自分の髪を切っている。時刻から考えると、浅草の奴が下谷へ廻ったと思われねえこともねえが、代地で盗んだ代物《しろもの》をどう始末したか。ほかにも同類があるのか、それとも別の奴らか。その鑑定はむずかしい」
「ちっとこんぐらかって来ましたね」
「そこで、おめえの受持ちはどうした」
「ひと通りは洗って来ました」
 亀吉が探索の結果も、弥助の報告とほぼ同様であった。第二小隊の鮎川丈次郎は武州大宮在の農家の次男で、年は二十三歳で、歩兵仲間にはめずらしい色白の柔和《にゅうわ》な人間であるが、同じ隊中の者に誘われて此の頃は随分そこらを飲み歩くらしい。天神下の藤屋へもたびたび出かけて、お房になじんでいるのも事実である。深川海辺河岸の万華寺というのが遠縁の親類にあたるので、そこの住職が身許になって入隊したのであると云う。鮎川ばかりでなく、髪切りに出逢ったほかの十人も相変らず調練に出ている。そのほかには別に変ったことも無いらしいと、亀吉は云った。

     四

 明くれば三月二十六日である。ゆうべの雨かぜも暁《あ》け方からからりと晴れて、きょうは拭《ぬぐ》ったような青空を見せていた。
 このごろの騒がしい世の中では、葉ざくら見物という風流人も少ないと見えて、花の散ったあとの隅田堤はさびしかった。堤下《どてした》の田圃では昼でも蛙がそうぞうしくきこえた。その堤下の小料理屋から二人づれの男が出て来た。
 ひとりは筒袖だん袋に韮山笠《にらやまがさ》をかぶった歩兵である。他のひとりは羽織袴の侍風で、これも笠をかぶっていた。かれらは相当酔っているらしく、殊に往来の絶えているのを見て、かなりの声高で話しながら歩いて来たが、やがて堤へ上がって一軒の掛茶屋にはいった。茶屋も此の頃は休んでいるらしく、外囲いの葭簀《よしず》はゆうべの雨に濡れたままで、内には人の影もなかった。それが丁度仕合わせであるというように、ふたりは片寄せてある長床几を持ち出して、向かい合って腰をかけた。
「暑いな。すっかり夏になった」と、侍は扇を使いながら云った。
「もう日なかは夏です」と、歩兵も云った。「殊にゆうべの雨風から急に暑くなりました」
「では、今の一件を増田君にもよく話して下さい。このくらいで止《や》めては困る……」
「はあ」と、歩兵の返事はすこし渋っていた。
「きょうは増田君も一緒に来てくれると好かったのだが……」
「増田君は二、三人づれで吉原へ昼遊びに行ったようです」
「はは、みんな遊ぶのが好きだな」
 歩兵隊はドンタクと称して、一、六の日を休日と定め、その日は明け六ツから夕七ツまでの外出を許されている。この歩兵もきょうドンタクに外出したものと察せられた。二人はそれから二つ三つ話して床几を起《た》った。
「では、きっと頼みますぞ」と、侍は云った。
「はあ」と、歩兵の返事はやはり渋っていた。
「米吉が不安心なら、今度は手前から直々《じきじき》にお渡し申しても宜しい」
「はあ」
 かれらは一緒に連れ立って行くことを厭うらしく、侍はひと足さきに別れて出て、吾妻橋の方角へ真っ直ぐに立ち去った。歩兵は後に残って、暫くぼんやりと考えていたが、やがて立ち上がって表へ出た。桜の青葉を洩れて来る真昼の日のひかりを、彼はまぶしそうに仰ぎながら、堤のむこうへ下りて竹屋の渡しへむかった。
 侍も歩兵も笠を脱がなかった。知らない人が聴いたならば、これだけの対話にさしたる秘密を含んでいるとも思われなかったであろうが、その秘密をぬすみ聴く四つの耳があった。頬かむりをした二人の男が掛茶屋のうしろからそっと姿をあらわした。それは半七と亀吉であった。
「あの侍を知らねえか」と、半七は小声で訊《き》いた。
「知りませんね」と、亀吉は答えた。「歩兵は確かに鮎川ですよ」
「米吉が不安心なら、直々に渡してもいいと云っていたな」
「米吉というのはお房
前へ 次へ
全12ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング