っぱりいけないんですねえ」と、お房は又云った。
「第二小隊……。その四人はなんという人だえ」
「鮎川さん、三沢さん、野村さん、伊丹さんです」
「鮎川さん……。丈次郎というのか」
「ええ、丈次郎というのです」
 鮎川丈次郎は二度目に髷を切られた男である。半七は笑った。
「ほかの人は知らねえが、その鮎川さんはおめえの所へ顔出しは出来ねえ筈だ。えて[#「えて」に傍点]ものにちょん切られたのだからな」と、半七は自分の髷を指さした。
「あら、それじゃあ鮎川さんも……。まあ」
 お房も髪切りの噂を知っているらしく、ひどく驚いたように半七の顔を見あげた。

     三

 その当時の半七は神田三河|町《ちょう》に住んでいたのであるから、小川|町《まち》から遠くない。お房に別れてひと先ず自分の家へ帰ると、亀吉と弥助が待っていた。
「屯所へ呼ばれたそうですね。髪切りの一件ですかえ」と、亀吉はすぐに訊いた。
「そうだ、猿や狐じゃあ無さそうだと云うのだ」
 半七からひと通りの話を聞かされて、二人はかんがえていた。
「しかし、その築山というのがおかしい。そこに何か巣食っているのじゃあありませんかね」と、弥助は云い出した。「去年の長州屋敷の一件もありますからね」
 蛤御門《はまぐりごもん》の事変から江戸にある長州藩邸はみな取り壊しになったが、去年の八月、麻布|竜土町《りゅうどちょう》の中屋敷を取り壊した時には、俄かに大風が吹き出したとか、奥殿から大きい蝙蝠《こうもり》が飛び出して諸人をおどろかしたとか、種々の雑説が世間に伝えられた。古い大名屋敷には往々そんな怪談が付きまとうので、屋敷跡の屯所の築山にも古狐か古猫のたぐいが棲んでいないとは限らない。蠣殻町《かきがらちょう》の有馬の屋敷の火の見|櫓《やぐら》には、一種の怪物が棲んでいたのを火の番の者に生け捕られ、それが瓦版の読売の材料となって、結局は有馬の猫騒動などという飛んでもない怪談を作りあげてしまった。そんな例はほかにもある。したがって、亀吉や弥助はこの一件について、まだ幾分の疑いを懐《いだ》いているらしかった。
「世間じゃあ豹だなぞと云うが、まさかに豹が町なかへまぐれ込みもしめえが……」と、亀吉も云った。「何かやっぱり狐か狸がいたずらをするのじゃありませんかね。現にその二人は、獣のようなものに出逢ったと云うじゃあありませんか」
「そんな事がねえとも云えねえが、小隊長の云う通り、どうも人間らしい匂いがするな」と、半七は笑った。
「だが、なぜそんないたずらをするのか、そのわけが判らねえので、どこから手を着けていいか見当が付かねえ。こうなると、なんでも手掛かりのある所から手繰《たぐ》って行くよりほかはねえ。弥助、おめえは、天神下に行って、藤屋のお房という女をしらべてくれ。なるべく当人に覚《さと》られねえようにするがいいぜ。亀、おめえは鮎川という歩兵の出這入りに気をつけてくれ。きょうの様子じゃあ、お房と鮎川とは訳があるかも知れねえからな」
「茶袋め、しゃれた事をしやあがる」と、亀吉も笑った。「ようがす。よく気を付けましょう」
「お房には兄貴がある筈で、そいつは何か小博奕なんぞを打つ奴らしいですよ」と、弥助は云った。「ひょっとすると、その茶袋もやくざ者で、隊へはいらねえ前からお房を識っているのかも知れませんね」
「じゃあ、色の遺恨で誰かがちょん切ったかな」と、亀吉はすこし考えていた。「だが、切られたのは十一人だと云うから、まさかみんなが色の遺恨を受ける覚えもあるめえ。そんなに色男が揃っているなら、茶袋だって世間から可愛がられる筈だ。まあ、なにしろ行って来ます」
 二人は怱々に出て行った。髪切りが人間の仕業であるとすれば、普通のいたずらとしては余りに念入りである。何者がなんの為にそんないたずらをするのかと、半七は午飯《ひるめし》をくいながら考えた。そうして、おぼろげながら一つの推測をくだした時、子分の幸次郎が忙がしそうにはいって来た。
「親分。早速ですが、いい話を聴いて来ました」
「いい話……。金でも降ったというのか」
「まぜっ返しちゃあいけねえ。実はゆうべ、浅草の代地河岸《だいちぎし》のお園《その》という女の家《うち》へ押込みがはいって、おふくろと女中の物には眼もくれず、お園の着物をいっさい担ぎ出してしまいました。それだけなら珍らしくもねえが、出ぎわにお園の髷を根元からふっつりと切って、持って行ったそうです」
「お園というのは何者だ」
「以前は深川で芸者をしていたのを、ある旦那に引かされて、おふくろと女中の三人暮らしで、代地に囲われているのです。年は二十三で、ちょいと蹈める女です。商売あがりの女だから、昔の色のいきさつで髷を切られる位のことはありそうですが、それにしちゃあ着物をみんな担ぎ出すのは暴《あら》っ
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