じゃあありませんか」と、善八は考えながら云った。「そうすれば一応は遠州屋の奉公さきへも行って、お熊を調べたろうと思います。主殺しの伝蔵に係り合いのあると知れたらば、遠州屋でもすぐに暇を出しそうなものだが、相変らず平気で使っているのでしょうか」
「遠州屋は四十ぐらいだろうな」
「そうでしょう。四十|面《づら》をさげて、女房もあり、娘もあるくせに詰まらねえ女なんぞに引っかかって、たびたびぼろを出すという評判ですよ。あいつ、お熊にも手を出しているのじゃありませんかね」
「むむ、笹川の息子の話じゃあ、お熊というのは汐風に吹かれて育ったにも似合わねえ、色の小白い、眼鼻立ちの満足な女だそうだ」
「それだ、それだ」と、善八は肩をゆすって笑った。「親分、きっとそうですよ。女房子《にょうぼこ》の手前があるから、どっかの二階へでもお熊を預けて置くつもりで、兄きの所へその相談に来たのかも知れませんぜ。節季《せつき》師走《しわす》に暢気《のんき》な野郎だ」
「だが、羊羹を持っているところを見ると、成田へは行ったのだろう」
「そう云わなけりゃあ家《うち》を出られねえから、柄にもねえ信心参りなぞに出かけたに違げえねえ。あの狢《むじな》野郎、途中で連れに別れたなんて云うのは嘘の皮で、始めから自分ひとりですよ」
「まあ、そう妬《や》くなよ」
「妬くわけじゃあねえが、あいつは方々の屋敷へいい加減ないか[#「いか」に傍点]物をかつぎ込んで、あこぎな銭《ぜに》もうけをするという噂で、道具屋仲間でも泥棒のように云われている奴ですからね」
善八にさんざん罵倒されているのも知らずに、才兵衛は宇兵衛夫婦を相手に、今ごろ何を掛け合っているかと半七は考えた。
五
嘉永六年の冬は暮れて、明くる年の七年の春が来た。歴史の上では安政元年と云うが、その年号が安政と改まったのは十二月五日のことであるから、その当時の人はやはり嘉永七年と云っていた。この正月は晴天がつづいて、例年よりも暖かであった。
福田の屋敷には伝蔵のほかに、乙吉、鎌吉、幸作という三人の中間があったが、滅亡の後は思い思いに立ち退《の》いて、諸方の武家屋敷に奉公している。その奉公先へ伝蔵が立ち廻るようなことは無いかと、半七は子分に云いつけて絶えず警戒させていたが、彼はどこへも姿を見せなかった。遠州屋のお熊のところへ尋ねて来たような形跡もなかった。
一月の末になって、子分の幸次郎がこんなことを報告した。
「伝蔵はやっぱり江戸にいますよ。福田の屋敷にいた曽根鹿次郎という若侍が、当時は牛込神楽坂辺の坂井金吾という旗本屋敷に住み込んでいます。その曽根が二、三日前に小梅の光隆寺へ墓参に行きました。光隆寺は福田の屋敷の菩提寺ですから、命日というわけじゃあねえが、曽根も勤めの暇をみて、旧主人の墓参りに行ったのです。参詣を済ませて寺を出ると、どこから尾《つ》けて来たのか伝蔵が門の前に待っていて、自分はお尋ね者で商売に取り付くことも出来ず、その日にも困っているから、幾らか恵んでくれと云ったそうです。そのずうずうしいには、曽根も呆れました。たとい昔の知りびとに出逢っても、顔を隠して逃げるのが当然だのに、自分の方から声をかけて、いくらか貸せとゆするとは、まったく思い切ってずうずうしい奴です。曽根も腹立ちまぎれに斬ってしまおうかと思ったのですが、自分も今は主人持ちですから、旧主人のかたきを討つというのは少し面倒です。取り押さえて番所へ突き出そうと思って、不意にその利き腕をとって捻じあげると、伝蔵もなかなか腕っ節の強い奴で、振り払って掴み合いになりましたが、あの辺は路が悪い、霜どけ道に雪踏《せった》をすべらせて、曽根が小膝を突いたところを、伝蔵は突き放して一目散に逃げてしまったそうです」
「成程、主殺しでもするだけに、思い切ってずうずうしい奴だな」と、半七も呆れたように云った。「馬鹿か、図太いのか、なにしろそんな奴じゃあ、何処へのそのそ這い出して来るかも知れぬえ。江戸にいると決まったら、尚さら気をつけてくれ」
それから十日ほどの後に、善八がこんなことを聞き出して来た。
「麹町四丁目の太田屋という酒屋は、福田の屋敷へ長年の出入りだったそうです。その女房が娘と小僧を連れて、王子稲荷の初午《はつうま》へ参詣に行くと、王子道のさびしい所で、伝蔵に出逢ったそうです。これも同じような文句をならべて、お尋ね者で喰うに困るから幾らか恵んでくれと云う。こっちは女子供だから、怖いのが先に立って、巾着銭をはたいて二朱と幾らかを捲き上げられたそうですよ。いよいよ図太い奴ですね」
主殺しのお尋ね者が世間を憚らず、この江戸市中を徘徊して昔馴染《むかしなじみ》をゆすって廻るなどは、重々不埓な奴であると半七は思った。
「そんな奴をのさばらせて置くと、上《かみ》の威光にかかわるばかりか、おれ達の顔にもかかわる。本気になって早く狩り出してしまえ」
それから又四、五日の後に、亀吉から新しい報告があった。
「福田の屋敷に勤めていたお辰という女は、このごろ四谷坂|町《まち》の奥平宗悦というお城坊主の家に奉公しています。そのお辰が二、三日前の晩に、主人の使で塩|町《ちょう》まで出て行く途中、例の伝蔵に取っ捉まって、主人の買い物をする金を取りあげられた上に、そこらの空地へ引き摺り込まれて、お熊の居どころを教えろと責められたそうですよ。お辰は知らないと云っても、伝蔵は承知しねえ。しまいにはお辰の喉《のど》を強く絞めて、さあ隠さずに云えと責め立てているところへ、近所の若侍が二、三人通りかかったので、伝蔵もあわてて逃げて行ったが、お辰は半死半生になって倒れてしまったそうです。ここらは常陸屋の縄張りだから、それを聞いてすぐに網を張ったが、伝蔵の姿はもう見えなかったそうで、常陸屋でも口惜《くや》しがっていると云うことですよ」
「仕様がねえな」と、半七は舌打ちした。「そこで、そのお熊はどうした。相変らず遠州屋にいるのか」
「相変らず道具屋に勤めています」
「それじゃあ何処からか嗅《か》ぎつけて、伝蔵は遠州屋へたずねて来るかも知れねえ。善八と相談して、その近所を見張っていろ。だが、伝蔵を召し捕っても、すぐに番屋へ引き摺って行っちゃあいけねえ。おれに一応知らせてくれ」
「承知しました」
こうして油断なく網を張っていたのであるが、禍いは意外のところに起こった。二月二十一日の夜の五ツ半(午後九時)頃に、遠州屋の主人才兵衛は浅草の聖天下《しょうでんした》で何者にか殺害された。短刀か匕首《あいくち》で脇腹を刺されたのである。所持の財布の紛失しているのを見ると、おそらく物取りの仕業であろうという噂であった。
浅草の今戸《いまど》には、日本橋の古河という大きい鉄物屋《かなものや》の寮がある。才兵衛はそこへ茶道具類を見せに行って、その帰り途で災難に逢ったのである。聖天へ夜参りをしたのでもあるまいに、なぜ待乳山《まつちやま》の下まで踏み込んだのか、その仔細は判らなかったが、才兵衛に似たような人物が一人の男と何か云い争いながら通るのを見た者があると云うので、かれらは何かの話でここへ踏み込んだらしく、したがって普通の物取りではあるまいという噂も生まれた。
才兵衛の検視に半七は立ち会わなかったが、その下手人は大抵想像された。その噂を聞いて、彼は善八と一緒に御成道の遠州屋へ乗り込むと、才兵衛の死骸はまだ引き渡されていないと見えて、店の番頭らは帰って来なかった。
家内の者を遠ざけて、半七は女中のお熊を店さきへ呼び出した。お熊は明けて二十歳《はたち》で、色の白い大柄の女であった。
「おまえはお熊か。なんでも正直に云え。この頃に伝蔵は来なかったか」と、半七はだしぬけに訊いた。
「参りました」と、お熊は素直にはきはきと答えた。「おとといの晩、町内のお湯屋へ参りますと、その帰りに伝蔵に逢いました」
「伝蔵はなんと云った」
「おれと一緒に逃げろと云いました」
「どこへ逃げるのだ」
「それは申しません。これから一緒に逃げるから、自分の金や着物を持ち出して来いと云っただけでございます」
「おまえは何という返事をした」
「いやだと断わりました。お前のような恐ろしい人と一緒には行かれないと申しました」
「それで伝蔵は承知したか」
「その恐ろしい事をしたのもお前の為だ。どうしても肯かなければ、主人もお前も唯は置かないぞと、怖い顔をして嚇かしました」
「なぜ主人を恨むのだ」
お熊は少しく返答に躊躇した。
「お前の主人は伝蔵に恨まれるような筋があるのか」と、半七はすかさず訊いた。
「あの人は思い違いをしているのでございます」と、お熊は低い声で答えた。
「思い違いじゃああるめえ」と、半七は笑った。「恨まれるだけの因縁があるのだろう。さもなければ、主殺しの兇状持ちに係り合いのあった女を、そのまま奉公させて置く筈があるめえ」
「昔のことは構わないから、ここの家《うち》に勤めていろと主人が申しました」
「そう云うには訳があるだろう。おれはみんな知っている。ここの主人は去年の暮れ、なんで堀江まで出かけたのだ」
よく知っていると云うように、お熊は半七の顔をみあげた。しかも彼女は案外に平気であった。
「旦那は商売のことで……」
「商売の事とは何だ」
「雁《がん》の羽《はね》を取りに……」
「雁の羽……」
半七は訊き返した。勝手ちがいの返事をされて、彼もやや戸惑いの形であった。雁の羽がなんの役に立つのか、彼もさすがに知らなかった。
「はい。お茶の湯に使います」と、お熊は説明した。
世間のことはなんでも心得ているように思ったが、残念ながら半七は茶事に暗かった。彼は我《が》を折って又訊いた。
「雁の羽をどうするのだ」
「三つ羽箒《ばぼうき》にいたします」
堀江に育って、今は茶道具商売の店に奉公しているだけに、お熊は雁の羽について説明をして聞かせた。堀江の洲《す》にはたくさんの雁が降りる、そのなかに白い雁のむらがっているのは珍らしくないが、稀には斑《ふ》入りの雁がまじっている。茶事に用いる三つ羽箒には野雁《やがん》の尾羽を好しとするが、その中でも黒に白斑のあるのを第一とし、白に黒斑のあるのを第二とし、数寄者《すきしゃ》は非常に珍重するので、その価も高い。ひと口に羽と云っても、翼の羽ではいけない、必ず尾羽でなければならないと云うのであるから、それを拾うのは容易でない。お熊の兄の宇兵衛は堀江の浜で偶然に拾って、白斑と黒斑の尾羽をたくわえていた。
なにかの時に、お熊がその話をすると、主人の才兵衛は眼を丸くして喜んだ。いずれそのうちに堀江をたずねて、お前の兄からその尾羽を譲って貰うと云っていたが、その年の暮れ、才兵衛は来年が四十一の前厄《まえやく》に当たると云うので成田の不動へ参詣に行って、その帰り道に堀江の宇兵衛をたずね、お熊の主人という縁をたどって、首尾よく雁の羽を手に入れて来たのである。そればかりでなく、今後も注意してその尾羽を拾い集めてくれと、才兵衛はくれぐれも頼んで帰った。
才兵衛が堀江をうろ付いていた仔細は、これで判った。兇状持ちに係り合いのある女を、彼がそのままに雇っていたのは、色恋の為ではなくて慾の為であった。商売に抜け目のない彼は、お熊の縁をつないで置いて、その兄から高価の尾羽を仕入れようと目論《もくろ》んでいたのであった。彼が半七らと道連れになるのを避けたのも、商売上の秘密を知られたくない為であったらしい。しかし半七らばかりでなく、伝蔵もまた同様の感違いをして、お熊と才兵衛とのあいだには主従以上の関係があるように疑ったのである。
「お前は伝蔵にその云い訳をしたのか」と、半七は訊いた。
「なにしろ宵の口で、人通りの多い往来ですから、詳しい話は出来ません。わたくしは飽くまでも忌だと云って、振り切って逃げて来ました」
「伝蔵は追っかけて来なかったか」
「今も申す通り、往来の絶え間がないので、それっきり付いても来ませんでした」
「そのことを主人に話したか」
「きまりが悪いので黙っていました」
感違いをしてい
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