善八は予定の通りに、行徳がよいの船に乗り込んで、まず行徳の町に行き着いた。ここらの川筋はよい釣り場所とされているので、釣り道具などを宿屋へあずけて置いて、江戸からわざわざ釣りに行く者も少なくないので、宿屋でも心得ていて、釣り舟や弁当の世話などをする。そのなかでも、伊勢屋というのが知られているので、半七らも此処へはいることにした。
 宿屋へはいると、ひと足さきへ来て脚絆《きゃはん》をぬいでいる男があった。
「やあ、三河町の親分、不思議な所で……」と、男は見かえって声をかけた。
 彼は下谷の御成道《おなりみち》に店を持っている遠州屋才兵衛という道具屋である。もっぱら茶道具をあきなって、諸屋敷へも出入りしているだけに、人柄も好く、行儀もよかった。
「まったく不思議な御対面だ」と、半七も笑った。「お前さんはこんな所へ何しに来なすった。寒釣りかえ」
「なに、そんな道楽じゃあありません。これでも信心参りで……。五、六人の連れがありましたので、成田《なりた》へ参詣して来ました」
「それにしても、途中から連れに別れて、ひとりでここへ来なすったのか」
「まあ、そんなわけで。へへへへへ」
 才兵衛は何か独りで笑っていた。おなじ二階ではあるが、裏と表と別々の座敷へ通されて、半七らが先ずくつろいで茶を飲んでいると、如才《じょさい》のない才兵衛はすぐに挨拶に来て、おめずらしくはありませんがお茶菓子にと、成田みやげの羊羹などを出した。
「そこで、お前さん方は……」と、才兵衛は声をひくめた。「なにか御用で……」
「まあ、用のような、遊びのような……」と、半七はあいまいに答えた。「ここらは大そう釣れると云うから……」
「じゃあ、やっぱり釣りですか。わたくしも一度、近所の人に誘われて、ここへ釣りに来たことがありました。しかし何処へ行っても、下手は下手で……」
 釣りの失敗話などをして、才兵衛は自分の座敷へ帰った。そのうしろ姿を見送って、善八はささやいた。
「あいつ、成田から帰る途中、ひとりでここへ廻って来たのは、なにか堀り出し物のあてがあるんですぜ」
「まあ、そうだろう。あいつも商売にゃあ抜け目がねえからな」
 女中に訊くと、才兵衛はすぐに又どこかへ出て行ったとの事であったが、善八はすこし風邪を引いていると云い、海辺の風は殊に寒いというので、半七らはどこへも出ずに一泊した。
 あくる日は風も凪《な》いで、十二月にはめずらしい程のうららかな日和《ひより》となった。ここから一里あまりの堀江までは、陸《おか》でも舟でも行かれるのであるが、半七らは陸を行くことにして、あさ飯の箸を置くとすぐに宿を出た。出るときに又もや才兵衛に逢った。彼も堀江へ行くと云うので、三人は一緒にぶらぶらあるき出した。
 才兵衛は例の通りに、如才なく話しながら歩いていたが、なんだか半七らの道連れになるのを厭うような様子が見えた。結局、彼は途中に寄り道があると云って、狭い横道へ切れてしまった。それに頓着せずに、二人は真っ直ぐに進んでゆくと、一方の海は遠い干潟《ひがた》になっていて、汐干狩にはおあつらえ向きであるらしく眺められた。そこには白い鳥の群れがたくさんに降りていた。土地の人に訊くと、それは白い雁であると教えてくれた。
「なるほど白雁《はくがん》と云うが、白い雁はめずらしい」と、善八は干潟を眺めているうちに、俄かに叫んだ。「親分、ご覧なせえ。遠州屋の奴め、いつの間には先廻りをして、あんな所をうろ付いていますよ」
 指さす方角には彼《か》の才兵衛がうろうろして、砂の上で何か探し物でもしているらしかった。
「まさかに貝を拾っているのでもあるめえ、海端《うみばた》へ出て何をしてやあがるかな」
 半七は気にも留めずに行き過ぎた。
 堀江へ行き着いて、宇兵衛の家をたずねて、先ずその近所で訊き合わせると、宇兵衛の妹は九月のはじめに江戸から一度帰って来たが、半月ほどの後に再び出て行った。宇兵衛はなぜか其の行く先をはっきり云わないが、今度は江戸ではないらしく、船橋の方へ奉公に行ったという噂もあり、八幡《やわた》の方へ行ったという噂もある。以前の武家奉公と違って、今度は茶屋奉公に出たので、兄がその行く先を明かさないのだという噂もある。いずれにしても、お熊が実家に留まっていないのは確かであると近所の人たちは話した。
 江戸から誰かたずねて来た者はなかったかと訊きただすと、お熊がどこへか行った後、十月の初めに江戸から二人連れの男がたずねて来た。つづいてその月のなかば頃に一人の男がたずねて来て、宇兵衛の家にひと晩泊まって帰ったと云うのである。魚釣りや汐干狩のほかには、他国の人があまり交通をしない場所だけに、見馴れない人の姿はすぐに眼について、宇兵衛方へたずねて来た二度の旅びとを近所の人達はみな知っていた。
 その人相や風俗を詮議すると、初めの二人づれは四谷の常陸屋の子分らが伝蔵とお熊のありかを探りに来たらしく、後の一人は伝蔵自身であるらしかった。
「ともかくも宇兵衛の家《うち》へ行ってみよう」
 半七は先に立って歩き出すと、冬がれの田のあいだに小さい農家が見いだされた。門口《かどぐち》には大きい枯れすすきの一叢《ひとむら》が刈り取られずに残っていた。

     四

 すすきの蔭から覗くと、家の構えは小さいが、さのみに貧しい世帯《しょたい》とも見えないで、型ばかりの垣のなかにはかなりに広い空地《あきち》を取っていた。葉のない猫柳の下に井戸があって、女房らしい二十四五の女が何か洗い物をしていた。
 案内を求めて、半七と善八が内へはいると、女房は湿《ぬ》れ手をふきながら出て来た。
「宇兵衛さんはお内でしょうか」と、半七は丁寧に挨拶した。「わたし達は江戸の者で、成田さまへ御参詣に行った帰りでございます。これはほんのお土産のおしるしで……」
 善八に風呂敷をあけさせて、取り出した羊羹二本はきのうの貰い物であった。見識らぬ人のみやげ物を迂濶に受け取っていいか悪いかと、その判断に迷ったように、女房は手を出しかねて、二人の顔を眺めていた。
「宇兵衛さんはお内ですか」と、半七は重ねて訊いた。
「居りますよ」と、女房はやはり不安そうに答えた。
 この時、裏の畑からでも引き抜いて来たらしい土大根二、三本をさげて、二十八九の男が井戸端に姿をあらわした。女房は駈け寄って何かささやくと、男も不安らしい眼を据えて半七らをじっと窺っていたが、やがて大根を井戸ばたに置いて、門口に出て来た。
「宇兵衛は私ですが、おまえさん方はお江戸から来なすったのかね」
「ええ、今もおかみさんに云った通り、成田さまへ御参詣に行った帰り道に、ちょいとおたずね申しました。以前番町のお屋敷に御奉公していたお辰さんに頼まれまして……」
 お辰というのはお熊の故《もと》朋輩で、福田の屋敷が滅亡の後、四谷のお城坊主の家へ奉公換えをした者である。その名は宇兵衛も聞き知っていたと見えて、俄かに打ち解けたように会釈《えしゃく》した。
「ああ、そうでしたか。番町のお屋敷に御奉公中は、妹めがいろいろ御厄介になりましたそうで……。まあ、どうぞこちらへ……」
 正直者らしい宇兵衛は、うたがう様子もなしに半七らを内へ招じ入れた。
「いや、構わないで下さい。わたし達は急ぎますから」と、半七は入口に腰をかけた。「早速ですが、お熊さんはどうしました。お辰さんもそれを心配して、わたし達に訊いて来てくれと頼まれましたが……」
「御親切にありがとうございます」と、宇兵衛も丁寧に頭を下げた。「それではお前さんも大抵のことは御承知でございましょうが、お熊の奴め、飛んでもねえ心得違いを致しまして、なんとも申し訳ございません」
「若けえ者だから仕方がないようなものだが、それからいろいろのことが出来《しゅったい》したらしいね」
「わたしも実にびっくりしました。九月のはじめにお熊が戻って来まして、始めは隠していましたが、どうも様子がおかしいので、だんだん詮議いたしますと、実はこうこう云うわけでお暇になったと白状いたしました。相手はどんな人か知らないが、お中間なんぞと係り合ったところで行く末の見込みは無いと、女房からも私からもよくよく意見を致しましたら、当人も眼が醒めた様子で、その男のことは思い切ると申していました。しかし田舎に帰っていても仕様がないから、もう一度お江戸へ奉公に出してくれと云いますので、わたし達はなんだか不安心に思いましたが、当人がしきりに頼みますので、とうとう又出してやることになりました。お熊はまったく思い切ったようで、万一その伝蔵という男がたずねて来ても、わたしの行く先を教えてくれるなと頼んで出ました」
「今度は江戸へ出て、どこへ奉公しているのだね」
「下谷の遠州屋という道具屋さんで……」
「遠州屋……」と、半七は善八と顔をみあわせた。そこらをうろ付いている道具屋才兵衛の店に、お熊が奉公していようとは、まことに不思議な廻り合わせであった。
「それから小ひと月も立ちまして、十月の十日《とおか》とおぼえています」と、宇兵衛は話しつづけた。「お江戸から御用聞きの方が二人づれでお出でになりまして、お熊はどうした、伝蔵は来ているかという御詮議で……。だんだんのお話をうかがいまして、実におどろきました。伝蔵という男は、まあ何という奴か。妹にも早く思い切らせて好かったと、その時つくづく思いました。ところが、お前さん。それから五、六日の後に、その伝蔵がたずねて来ましたので、わたし達はぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]としました」
「そこで、どうしたね」
「伝蔵はもう近所で探って来たと見えまして、お熊のいない事を知っていました。どこへ行ったと頻りに訊きましたが、わたし達は知らないと云い切ってしまいました。お熊は断わりなしに家出をして、今どこにいるか判らないと、飽くまでも強情を張り通しました。それでは今夜だけ泊めてくれと云いまして、ここの家《うち》にひと晩泊まりまして、あくる朝出るときに路用の金を貸してくれと云いましたが、わたし達の家に金なぞのある筈はありません。それでも幾らか貸せとゆすりますので、銭三百をかき集めてやりました」
「それで、おとなしく立ち去ったのか」
「お尋《たず》ねの身の上だから、うかうかしてはいられないと、自分でも云っていました」
 本来ならば、伝蔵が一泊したのを幸いに、宇兵衛から村役人に訴え出るべきである。それをそのままにして、しかも幾らかの銭を貸してやったのは、自分の重々の落度であるが、何分にも伝蔵が恐ろしくて、どうすることも出来なかったと、宇兵衛夫婦は云った。
「伝蔵はどこへ行くとも云わなかったかえ」
「別に何とも云いませんでした。度胸がいいのか、その晩は高鼾《たかいびき》で寝ていました」
 ここまで話して来た時に、門口《かどぐち》の枯れすすきの蔭から内を覗く者がある。それが彼《か》の遠州屋才兵衛であった。半七らと顔をあわせて、才兵衛は困ったらしかったが、半七らも少し困った。お辰の使だなどと云って来た、その化けの皮が忽ち剥げてしまうからである。勿論、いよいよとなれば、正体をあらわすまでの事であるが、これまで聞けば用はないと思ったので、半七は立ち上がった。
「誰かお客があるようだ。わたしはこれでお暇《いとま》としましょう」
「どうもお構い申しませんで……。お辰さんに宜しく仰しゃって下さい」
 宇兵衛夫婦に送られて門口へ出ると、今さら逃げる訳にも行かない才兵衛がそこに突っ立っていた。
「やあ、お前さんもここへ来たのかえ」
 云い捨てて半七はすたすたと行き過ぎた。善八も無言でつづいて来た。やがて七、八間も田圃道《たんぼみち》を通り抜けた時、善八はあとを見かえりながら云った。
「親分。あの遠州屋はなんだか変な奴ですね」
「自分のくれた成田の羊羹が、あすこに置いてあるので驚いたろう」と、半七は笑った。
「何しに来たのでしょう」
「お熊は遠州屋に奉公していると云うから、まんざら縁のねえ事もねえが、なんでわざわざ寄り道をしやあがったかな」
「今の話を聞くと、常陸屋の奴らがここへ詮議に来たと云う
前へ 次へ
全5ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング