挨拶では恐れ入ります。先月の住吉町のかたき討ちなぞは、九つの時に親を殺されて、二十年もかたきを狙っていたのだと申します。それを思えば、私などはまだ一年にもなりませんのですから……」
 鶴吉は果たして瓦版を読んでいたのである。ことしは新盆《にいぼん》であるから、殿さまと姉の墓まいりに行くなどと、彼は話して帰った。折りから表を通る燈籠売りの声も、きょうの半七には取り分けてさびしくきこえた。
「畜生、どこに隠れていやあがるか」
 いたずらに苛々《いらいら》するばかりで、半七も手の着けようが無かった。この春ごろは折々に姿をあらわして、昔の知りびとをゆすり歩いていたが、かの才兵衛の一件以来、伝蔵の消息はまったく絶えてしまった。或いは才兵衛のふところから相当のまとまった金をうばって、それを路用に高飛びをしたのでは無いかとも思われた。
 七月九日、きょうは浅草観音の四万六千|日《にち》である。苦しい時の神頼みと云ったような心持もまじって、半七は朝から参詣の支度をした。
「おい、お仙、すこし小遣いを出してくれ」
「あいよ」
 女房のお仙は用箪笥のひき出しから、一歩銀に一朱銀を取りまぜて掴んで来た。
「このくらいでいいかえ」
「むむ。よかろう。お台場が大分まじっているな」
「お台場は性《しょう》が悪いと云うから、なるたけ取らない事にしているのだけれど……」
「おれ達の家《うち》の金は、きょう有って明日《あした》ねえのだ。性が良くっても悪くっても構うものか」
 半七は笑いながら一朱銀を受け取って、今更のように手の上で眺めた。改めて註するまでもなく、異国の黒船防禦のために、幕府では去年の九月から品川沖にお台場を築くことになった。空前の大工事であるから、その費用もおびただしい。その財政の窮乏を補うために、ことしの一月から新吹きの一朱銀を発行したので、俗にこれをお台場と呼んだ。もちろん急場凌ぎに発行したものであるから、銀の質はすこぶる悪い。台場築造はなかなかの難工事であるので、人足の手間賃も普通より高く、一日一朱という定めで、かのお台場銀を払い渡された。
 そのころの流行唄《はやりうた》に「死んでしまおか、お台場へ行こか。死ぬにゃ優《ま》しだよ、土かつぎ」とある。お台場人足はいい金にもなるが、まかり間違えば海に沈んで命が無い。実に命がけの仕事であると、世間一般に伝えられていた。そのお台場銀を
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