る伝蔵は、一途《いちず》に才兵衛を恋のかたきと睨んで、その出入りを付け狙っていたらしい。彼は才兵衛が今戸の寮から帰る途中を待ち受けて、無理に聖天下のさびしい場所へ連れ込んで、かれこれ押し問答の末に、その兇暴性を発揮したものと認められた。福田の屋敷に関係のある者のうちに、お熊が現在の奉公先を知っているものは無い筈であるから、伝蔵は誰の口から聞き出したのでもなく、偶然の通りすがりにお熊のすがたを発見したらしかった。
「わたくしから、こんな事が出来《しゅったい》しまして、御主人さまに申し訳がございません」と、お熊は泣いていた。

     六

 遠州屋才兵衛を殺した下手人は伝蔵と認定されたが、そのゆくえは判らなかった。才兵衛がその夜今戸の寮へ出向いたのは、斑入りの雁の羽を売り込みに行ったのであるという事が判って、半七らは一種不思議の因縁が付きまとっているようにも思った。
 江戸の花が散り、ほととぎすが啼き渡る頃になっても、伝蔵という悪魚は網に入らなかった。春の末から半七らはかの「正雪の絵馬」の一件に係り合うことになって、六月十一日に犯人重兵衛を取り押さえたが、同時に淀橋の火薬製造所が爆発した為に、子分の亀吉と幸次郎は負傷した。半七は幸いに無事であったが、その後二、三日は疲れて休んだ。その顛末は今ここに繰り返すまでもない。
 亀吉の傷は軽かったが、幸次郎の痛みどころはかなりに手重いので、六月二十八日の朝、半七は幸次郎の家へ見舞いにゆくと、その帰り道で又もや瓦版の読売に出逢った。それは二十六日の夜、日本橋住吉|町《ちょう》の往来で、常陸国《ひたちのくに》中志築村の太田六助が父のかたき山田金兵衛を討ち取った一件である。
「又かたき討ちか」と、半七はつぶやいた。
 笹川の鶴吉はこの瓦版を買って、又もや一心に読んでいるであろう。それを思いやると、半七の胸は鉛のように重くなった。鶴吉は勿論、飼葉屋の直七も定めて頼み甲斐のない奴と、自分を恨んでいるかも知れない。半七は暗い心持で、夏の日盛りの町をあるいて帰った。
 七月になって、鶴吉が中元の礼に来た。半七はその顔を見るのが辛かった。
「まったくお前さんにゃあ申し訳がねえ」と、半七は詫びるように云った。「わたしも決して油断しているわけじゃあねえが、なんにも手がかりが無いので困り抜いています。まあ、もう少し辛抱しておくんなせえ」
「その御
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