頻りに訊きましたが、わたし達は知らないと云い切ってしまいました。お熊は断わりなしに家出をして、今どこにいるか判らないと、飽くまでも強情を張り通しました。それでは今夜だけ泊めてくれと云いまして、ここの家《うち》にひと晩泊まりまして、あくる朝出るときに路用の金を貸してくれと云いましたが、わたし達の家に金なぞのある筈はありません。それでも幾らか貸せとゆすりますので、銭三百をかき集めてやりました」
「それで、おとなしく立ち去ったのか」
「お尋《たず》ねの身の上だから、うかうかしてはいられないと、自分でも云っていました」
 本来ならば、伝蔵が一泊したのを幸いに、宇兵衛から村役人に訴え出るべきである。それをそのままにして、しかも幾らかの銭を貸してやったのは、自分の重々の落度であるが、何分にも伝蔵が恐ろしくて、どうすることも出来なかったと、宇兵衛夫婦は云った。
「伝蔵はどこへ行くとも云わなかったかえ」
「別に何とも云いませんでした。度胸がいいのか、その晩は高鼾《たかいびき》で寝ていました」
 ここまで話して来た時に、門口《かどぐち》の枯れすすきの蔭から内を覗く者がある。それが彼《か》の遠州屋才兵衛であった。半七らと顔をあわせて、才兵衛は困ったらしかったが、半七らも少し困った。お辰の使だなどと云って来た、その化けの皮が忽ち剥げてしまうからである。勿論、いよいよとなれば、正体をあらわすまでの事であるが、これまで聞けば用はないと思ったので、半七は立ち上がった。
「誰かお客があるようだ。わたしはこれでお暇《いとま》としましょう」
「どうもお構い申しませんで……。お辰さんに宜しく仰しゃって下さい」
 宇兵衛夫婦に送られて門口へ出ると、今さら逃げる訳にも行かない才兵衛がそこに突っ立っていた。
「やあ、お前さんもここへ来たのかえ」
 云い捨てて半七はすたすたと行き過ぎた。善八も無言でつづいて来た。やがて七、八間も田圃道《たんぼみち》を通り抜けた時、善八はあとを見かえりながら云った。
「親分。あの遠州屋はなんだか変な奴ですね」
「自分のくれた成田の羊羹が、あすこに置いてあるので驚いたろう」と、半七は笑った。
「何しに来たのでしょう」
「お熊は遠州屋に奉公していると云うから、まんざら縁のねえ事もねえが、なんでわざわざ寄り道をしやあがったかな」
「今の話を聞くと、常陸屋の奴らがここへ詮議に来たと云う
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