い。わたし達は急ぎますから」と、半七は入口に腰をかけた。「早速ですが、お熊さんはどうしました。お辰さんもそれを心配して、わたし達に訊いて来てくれと頼まれましたが……」
「御親切にありがとうございます」と、宇兵衛も丁寧に頭を下げた。「それではお前さんも大抵のことは御承知でございましょうが、お熊の奴め、飛んでもねえ心得違いを致しまして、なんとも申し訳ございません」
「若けえ者だから仕方がないようなものだが、それからいろいろのことが出来《しゅったい》したらしいね」
「わたしも実にびっくりしました。九月のはじめにお熊が戻って来まして、始めは隠していましたが、どうも様子がおかしいので、だんだん詮議いたしますと、実はこうこう云うわけでお暇になったと白状いたしました。相手はどんな人か知らないが、お中間なんぞと係り合ったところで行く末の見込みは無いと、女房からも私からもよくよく意見を致しましたら、当人も眼が醒めた様子で、その男のことは思い切ると申していました。しかし田舎に帰っていても仕様がないから、もう一度お江戸へ奉公に出してくれと云いますので、わたし達はなんだか不安心に思いましたが、当人がしきりに頼みますので、とうとう又出してやることになりました。お熊はまったく思い切ったようで、万一その伝蔵という男がたずねて来ても、わたしの行く先を教えてくれるなと頼んで出ました」
「今度は江戸へ出て、どこへ奉公しているのだね」
「下谷の遠州屋という道具屋さんで……」
「遠州屋……」と、半七は善八と顔をみあわせた。そこらをうろ付いている道具屋才兵衛の店に、お熊が奉公していようとは、まことに不思議な廻り合わせであった。
「それから小ひと月も立ちまして、十月の十日《とおか》とおぼえています」と、宇兵衛は話しつづけた。「お江戸から御用聞きの方が二人づれでお出でになりまして、お熊はどうした、伝蔵は来ているかという御詮議で……。だんだんのお話をうかがいまして、実におどろきました。伝蔵という男は、まあ何という奴か。妹にも早く思い切らせて好かったと、その時つくづく思いました。ところが、お前さん。それから五、六日の後に、その伝蔵がたずねて来ましたので、わたし達はぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]としました」
「そこで、どうしたね」
「伝蔵はもう近所で探って来たと見えまして、お熊のいない事を知っていました。どこへ行ったと
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