ょさい》なく、ひと通りの探索はしているだろうが、こっちはこっちで新規に手を伸ばさなけりゃあならねえ。直七と鶴吉の話によると、その伝蔵という奴は秩父の生まれだそうだが、一文無しで故郷へ帰ることも出来めえ。といって、江戸にいるのもあぶねえと云うので、どっかへ草鞋《わらじ》を穿《は》いたかも知れねえ。なにしろ三月も前のことだから、その足あとを尾《つ》けるのがちっと面倒だ」
「伝蔵と係り合いの女はどこにいるでしょう」
「それはお熊という女で、年は十九、宿は堀江だそうだ」
「堀江とは何処ですね」
「下総《しもうさ》の分だが、東葛飾《ひがしかつしか》だから江戸からは遠くねえ。まあ、行徳《ぎょうとく》の近所だと思えばいいのだ。そこに浦安《うらやす》という村がある。その村のうちに堀江や猫実《ねこざね》……」
「判りました。堀江、猫実……。江戸から遠出の釣りや、汐干狩に行く人があります」
「そうだ、そうだ。つまり江戸川の末の方で、片っ方《ぽ》は海にむかっている所だ。むかしは堀江千軒と云われてたいそう繁昌した土地だそうだが、今は行徳や船橋に繁昌を取られて、よっぽど寂《さび》れたということだ。漁師町だが、百姓も住んでいる。お熊はその宇兵衛という百姓の妹だそうだ。そこで、おれの鑑定じゃあ、お熊が八月に屋敷を出された時、いずれ伝蔵がたずねて行くという約束でもあって、伝蔵は主人の金をぬすんで逃げ出そうとしたのだろう」
「そうすると、伝蔵はお熊の宿に隠れているのでしょうか」
「さあ、そこだ」と、半七は首をかしげた。「望み通りに金を盗めば、堀江までたずねて行ったろうが、これも一文無しじゃあどうだろうか。第一、お熊がすぐに国へ帰ったか、それとも江戸のどっかに奉公して伝蔵のたよりを待っているか、それも判らねえ」
「堀江まで踏み出しても無駄でしょうか」
「無駄かも知れねえ。だが、無駄と知りつつ無駄をするのも、商売の一つの道だ。さしあたって急用もねえから、念晴らしに明後日《あさって》あたり踏み出してみるかな」
「おまえさんも行きなさるかえ」
「道連れのある方が、おめえもさびしくなくて好かろう。行くなれば、深川から行徳まで船で行くほうが便利だ。ちっと寒いが仕方がねえ。朝は七ツ起きだ」
「じゃあ、そうしましょう」
 約束をきめて、善八は帰った。
 その翌々日の朝は、江戸の町にも白い霜を一面においていた。半七と
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