うちに使が帰って来て、板倉家ではそんな者を知らないという返事です。さては偽者かと云うことになったのですが、偽物ならば随分ずうずうしい奴、白昼人殺しをして置いて、かたき討ちだなぞといつわって、自分から辻番所へ届けて出るとは、あまりに人を喰った仕方です。
 しかし、それが通りがかりの喧嘩でなく、いきなりに声をかけて斬り付けたのを見ると、斬った者と斬られた者と、両方が見識り合いであるに相違ない。検視の役人が出張って、斬られた若党をあらためると、年の頃は三十四五で、どこの屋敷の者か、別に手がかりになるような物もありません。ふところの紙入れには二両ばかりの金がはいっていました。その当時、二両という金はなかなか馬鹿になりません。軽輩の若党らにしては、懐中《ふところ》が重過ぎると思われたのですが、ほかに詮議の仕様もないので、先ずそのままに済みました。
 この噂を聴いて、金右衛門の一行もおどろいて、成程お江戸は恐ろしい所だと舌を巻きました。いや、これだけで済めばよいのですが、まだ恐ろしいことが続々|出来《しゅったい》したのです。まあ、お聴きください」

     二

 金右衛門らの一行は下総屋で夕食の馳走になって、土産物をもらったりして、暮れ六ツ過ぎた頃にここを出た。
 今夜は一泊しろとしきりに勧められたのであるが、あしたは他の一行と共に浅草辺を見物する約束になっているので、今夜のうちに馬喰町の宿へ帰らなければならないと云って、四人は暇乞いをして出た。この頃の秋の日は短いので、もうすっかり暮れ切った。ここらは場末のさびしい土地で、途中には人家の絶えたところもあり、竹藪などの生い茂っているところもある。下総屋では小僧に提灯を持たせて、青山の大通りまで送って行かせた。
 江戸の人達はさびしいと云うが、佐倉の在所《ざいしょ》に住み馴れた金右衛門らは、このくらいの所をさのみ珍らしいとも思わなかった。しかしきょうの昼間の出来事におびやかされているので、なんとなく薄気味の悪い四人は、小僧のあとに付いて黙って歩いた。谷町を出て、例の六道の辻を通りぬけて、やがて青山の大通りへ出ようとすると、そこらは道幅が一間半に足らない狭い往来で、片側は畑地、片側は竹藪になっている。その竹藪ががさりと云うかと思うと、何者か突然あらわれて小僧の持っている提灯をばっさりと切り落とした。
 あっ[#「あっ」に傍点]と云う間に、金右衛門も一太刀斬られて倒れた。おさんもお種も思わず悲鳴をあげた。なにを云うにも真っ暗であるから見当が付かない。大通りへ出る方が近いと思ったので、土地の勝手を知っている小僧は真っ直ぐに逃げた。ほかの者も夢中で続いて逃げた。
 相手は追って来ないらしいので、大通りまで逃げ伸びて先ずほっ[#「ほっ」に傍点]としたが、無事に逃げおおせたのは下総屋の小僧と、為吉とお種の三人で、金右衛門とおさんが見えない。金右衛門は斬り倒されたらしいが、娘はどうしたか分からないので、三人は心配した。小僧はすぐに青山|下野守《しもつけのかみ》屋敷の辻番所へ訴えると、辻番の者もふだんから小僧の顔を識っているので、現場まで一緒に来てくれた。その提灯によって照らして見ると、金右衛門は右の肩を斬られて、朱《あけ》に染《し》みて倒れていたが、おさんの姿はそこらに見いだされなかった。
 曲者は藪から出て来たらしいと云うのであるが、その竹藪は間口《まぐち》四、五間の浅いもので、うしろは畑地になっているのであるから、曲者は再び藪をくぐって畑を越えて逃げ去ったものであろう。金右衛門はまだ息が通っていたが、その懐中《ふところ》の財布は紛失していた。大事の路用は胴巻に入れて肌に着けていたので、これは無難であった。財布には小出しの銭を入れて置いたに過ぎないので、その損害は知れたものであったが、娘ひとりの紛失が大問題である。未来の女房をうしなった為吉は蒼くなって騒いだが、どこを探すという的《あて》もなかった。取りあえず金右衛門を辻番所へ担ぎ込んで、近所の医者を呼んで手当てを加えると、傷は案外の浅手で一命にかかわるような事はあるまいと云うので、これはまず少しく安心した。
 小僧は更に主人方へ注進したので、下総屋からは主人の茂兵衛と若い者二人が駈け付けて来て、手負いの金右衛門をひき取って帰ったが、おさんのゆくえは遂に知れなかった。おさんはことし十六で、色の小白い、いわゆる渋皮の剥《む》けた娘であるから、昼間から付け狙っていて拐引《かどわか》したのであろうという説が多数を占めたが、しょせんは一種の想像にとどまって、その真相はわからなかった。
「半七。青山辺が又なんだか騒々しいそうだ。この前の唐人飴の係り合いもある。おまえが行って、なんとか埓を明けてくれ」と、八丁堀同心の坂部治助が云った。
「かしこまりました」
 半
前へ 次へ
全12ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング