北の大通りを加えると、道が六筋になる勘定で、誰が云い出したのか知りませんが、六道の辻という名になってしまったのです。ここらは小役人や御先手《おさきて》の組屋敷のあるところで、辻の片側には少しばかりの店屋があります。その荒物屋の前に荷をおろして、近在の百姓らしい男が柿を売っていました。
そこへ大小、袴、武家の若党風の男が来かかって、その柿の実を買うつもりらしく、売り手の百姓をつかまえて何か値段の掛け引きをしていました。すると、そこへ又ひとりの浪人風の男が来かかって、前の侍をひと眼見ると、たちまちに気色《けしき》をかえて大音に叫びました。
「おのれ盗賊、見付けたぞ」
見付けられた若党もおどろいた様子で、なにか返答をしたようでしたが、それはよく聞こえませんでした。一方の浪人は腰刀をぬいて飛びかかる。若党はいよいよ慌てて逃げかかる。そのうしろから右の肩先へ斬りつける。倒れるところを又斬るという騒ぎ。斬られた若党はその場で息が絶えてしまいました。
金右衛門の一行は丁度そこへ通り合わせて、自分たちの眼の前でこの活劇が突然に始まったのですから、きのう見物した中村座の芝居どころではない、四人は蒼くなって立ちすくんでいると、浪人は血刀《ちがたな》を鞘に納めて四人を見かえりました。
「おまえ達には気の毒だが、ここへ来合わせたが時の不祥だ。この場の証人になってくれ」
忌《いや》も応も云われないので、四人はその侍のあとに付いて行くことになりました。柿を売っていた男、荒物屋の女房、これも一緒に連れて行かれました。元来が往来の少ない片側町《かたがわまち》、ほかの店の者はあわてて奥へ逃げ込んでしまったので、これだけの人間が係り合いになったわけです。以上六人を連れて浪人はその近所にある水野|和泉守《いずみのかみ》屋敷の辻番所へ出頭しました。
その浪人の申し立てによると、自分は中国なにがし藩の伊沢千右衛門という者で、父の兵太夫は御金蔵番を勤めていた。然るに或る夜、その金蔵を破って金箱をかかえ出した者がある。兵太夫が取り押さえてみると、それは相役の山路郡蔵であった。郡蔵は自分の不心得を深く詫びて、どうぞ内分にしてくれと頻りに頼むので、兵太夫も承知して、そんならその金箱を元のところへ戻して置けと、二人が金蔵の方へ引っ返そうとする時、郡蔵は不意に兵太夫を斬り倒して、金箱をかかえて逃げてしまった。兵太夫は深手ながら息があったので、その始末を云い残して死にました。こうなると、山路郡蔵は重々の悪人で、お家に取っては金蔵破りの盗賊、千右衛門に取っては親のかたきと云うことになります。そこで千右衛門は上《かみ》に願って暇《いとま》を貰い、仇のゆくえを探しに出ました。
千右衛門は先ず京大坂を探索しましたが、更に手がかりが無いので、東海道の宿々を探しながら江戸へ下《くだ》って来て、去年の夏から一年あまりも江戸市中を徘徊しているうちに、こんにち測らずも此の六道の辻で郡蔵のすがたを見つけたので、すぐに名乗りかけて討ち果たしたと云うのです。普通の喧嘩口論とは違って、千右衛門の申し立ては立派に筋道が立っています。主家の盗賊を仕留め、あわせて自分の親のかたきを討ったのですから、辻番所でも疎略には取り扱いません。それはお手柄でござったと云うので、湯などを飲ませてくれる。金右衛門の一行四人と、荒物屋の女房と柿売りと、みなひと通りの取り調べを受けただけで帰されました。
これで先ずほっ[#「ほっ」に傍点]として、金右衛門の一行は千駄ヶ谷谷町の下総屋へ尋《たず》ねて行って、今の話などをしていると、やがてこんな噂が耳にはいりました。六道の辻で仇討をした伊沢千右衛門という浪人者は、水野家の辻番所から姿をかくしたと云うのです。この時代の法として、こういう事件のあった場合には、ひと先ずその本人を辻番所又は自身番に留め置いて、その主人の屋敷へ通知すると、主人の方から衣服の※[#「ころもへん+上」、第4水準2−88−9]※[#「ころもへん+下」、第4水準2−88−10]《かみしも》を持たせて迎えの者をよこす事になっている。そうして、辻番の者にむかって、これは自分の屋敷の者に相違ないことを証明した上で、本人を受け取って行くのです。そこで、千右衛門の申し立てによると、自分は備中松山五万石板倉|周防守《すおうのかみ》の藩中であると云うので、辻番所からはすぐに外桜田の板倉家へ使を出しました。
その使の帰るのを待つあいだに、千右衛門は失礼ながら便所を拝借したいと云う。油断して出してやると、それぎり帰らない。いずれ屋敷内に忍んでいるに相違ないと、そこらを隈なく詮議したが、遂にその姿は見あたらない。なにしろ場末の屋敷で、その横手は大きな竹藪になっているから、それを潜《くぐ》って逃げ去ったのではないかと云う。その
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