「女房の方は獣に啖い殺されたらしいと云ったな」と、半七は少しかんがえていた。「いくら異人だって虎や獅子を日本まで連れて来ていやあしめえ、犬だろうな」
「洋犬《カメ》ですよ」と、三五郎はうなずいた。「ハリソンの家にゃあ大きい赤い洋犬を飼っていたそうですから、多分その洋犬の仕業《しわざ》だろうと云うのですが……」
「そうすると、亭主は人に殺されて、女房は犬に殺されたと云うことになるのだが、その犬はどうした」
「どこへ行ったか、その晩から犬のゆくえは知れねえそうです。そこで又、こんなことを云う者もあるのです。なにかの仔細があって、女房が亭主を殺して庭さきへ逃げ出すと、飼犬が主人の仇とばかりに飛びかかってその女房を啖い殺したのかも知れないと……。成程それもひと理窟あるようですが、それならばその洋犬がそこらにうろついていそうなものだが、どこへ行ったか姿を見せないのはおかしい。わっしの鑑定じゃあ、女房を啖い殺したのはハリソンの家《うち》の洋犬じゃあなく、恐らくほかの犬だろうと思うのです。ハリソンの飼い犬は邪魔になるので、仕事にかかる前に毒でも喰わせるか、ぶち殺すか、なんとかして押し片付けてしまって、ほかの犬を連れ込んだのじゃあねえかと……。それにしても判らねえのは、亭主を刃物で殺すくれえなら、女房も同じ刃物で殺してしまいそうなものだのに、なぜ犬なんぞを使って啖い殺させたのか、それとも自然にそうなったのか。そこらの謎が解けねえので、どうも確かなところを掴むことが出来ませんよ」
「夫婦が殺された時に、なにか紛失物はねえのか」と、半七はまた訊いた。
「知り合いの異人たちが立ち会って調べたそうですが、これぞという紛失物もないようだと云うことです」
「亭主を殺した刃物はなんだ」
「多分、大きいナイフ……西洋の小刀だろうと云うのですが、現場にはそんなものは残っていなかったそうです」
「ハリソンはいつから渡って来たのだ」
「去年の二月です。店の方にゃあ二人の異人と三人の日本人を使っています。日本人は徳助、大助、義兵衛といって、みんな若けえ奴らです。商売は異人館ですから、やっぱり糸と茶を主《おも》に仕入れているようですが、異人仲間の噂じゃあ相当に金を持っているらしいと云うことです。そこで、親分、いよいよ踏み出してくれますかえ」
「行って見てもいいが、おれの一存で返事は出来ねえ。たとい七里の道中でも、横浜となれば旅だ。八丁堀の旦那に相談して、そのお許しを受けにゃあならねえ。あしたの午過ぎに、もう一度来てくれ」
「ようがす、久しぶりで江戸へ帰って来たついでに、四、五軒顔出しをする所がありますから、あした又出直してまいります」
 三五郎はなにか横浜のみやげを置いて帰った。それと入れちがいに多吉が来た。
「たった今、横浜から三五郎が来たよ」
「そりゃあ惜しいことをした」と、多吉は舌打ちした。「あいつ此の頃は景気がいいと云うから、見つけ次第に貸しを取り返してやろうと思っていたのだが……」
「いくらの貸しだ」
「三歩さ」
「三歩の貸しを執念ぶかく付け狙うほどの事もあるめえ」と、半七は笑った。「実は、あいつも商売用で出て来て、おれに加勢を頼むのだ。都合によったら旅へ出なけりゃあならねえ」
「横浜へ伸《の》すのですか」
 半七からひと通りの話を聞かされて、多吉は仔細らしくうなずいた。
「そいつは何とか早く埓を明けてやらなけりゃあいけますめえ。日本の役人ペケありますなんて、毛唐人どもに笑われちゃあ癪ですからねえ」
「大きく云やあ、そんなものだ。あした八丁堀へ行って相談したら、旦那がたも多分承知して下さるだろう。ところで、例の大川の一件だが……。三五郎の話を聞いているうちに、ふいと胸に浮かんだことがある。というのは、大川へほうり込まれた死骸のひたいには、犬という字が書いてあったとか云うのだが、横浜で死んだ女異人は洋犬《カメ》に啖い殺されたのだそうだ。江戸と横浜じゃあちっと懸け離れ過ぎているようだが、世の中の事は何処にどういう糸を引いていねえとも限らねえ。どっちも犬に縁があるのを考えると、そこに何かの係り合いがあるのじゃああるめえか」
「そう云えば、そんなものかも知れねえが……」と、多吉は疑うように首をかしげた。「なんぼ何でも横浜で殺したものを江戸までわざわざ運んで来やあしますめえ。あっちにも捨て場所は幾らもある筈だ」
「理窟はそうだが、理窟でばかり押せねえことがある」と、半七も首をかしげながら云った。「なにしろ留守をたのむから、おめえは大川の一件を根《こん》よく調べてみてくれ。おれは横浜へ行って、ひと働きしてみよう」
「三五郎は別として、ほかに誰か連れて行きますかえ」
「松吉を連れて行こう。あいつは去年も一緒に行って、少しは土地の勝手を知っている筈だ。もっとも横浜も去年の十月にだいぶ焼けたと云うから、また様子が変っているかも知れねえ」
「横浜は焼けましたかえ」
「十月の九日から十日の昼にかけて、町屋《まちや》はずいぶん焼けたそうだ。異人館は無事だったと云うから、ハリソンの家《うち》なんぞは元のままだろう。火事を逃がれても、夫婦が殺されちゃあなんにもならねえ」
「浪士が斬り込んだのじゃあありますめえね」
「おれも一旦はそう思ったが、侍ならば刀でばっさりやるだろう。小刀のようなもので喉を突いたり犬を使ったり、そんな小面倒なことをしやあしめえ」
「そうでしょうね。じゃあ、あした又、様子を聞きに来ます」
 多吉の帰ったあとで、半七は旅支度にかかった。横浜までは一日の道中に過ぎないが、その時代には一種の旅である。半七は女房に云いつけて、新らしい草履や笠を買わせた。

     三

 あくる朝、半七は八丁堀同心の屋敷へ行って、丹沢五郎治をたずねた。丹沢は去年の団子坂一件に立ち会った関係があるので、その異人夫婦の死を聞かされて眉をよせた。
「よくよく運の悪い連中だな。そういう訳なら行って見てやれ」
 彼も多吉とおなじように、こんな事がいつまでも捗取《はかど》らないと、外国人に対して上《かみ》の御威光が自然に薄らぐ道理であるから、せいぜい働いて早く埓を明けろと云った。
 半七は承知して神田の家へ帰ると、松吉は朝から待っていた。やがて三五郎も来た。三人が午飯《ひるめし》を食いながら相談の末に、あしたを待つまでもなく、これからすぐに発足《ほっそく》することになった。秋といっても七月の日はまだ長い。途中で駕籠を雇って、暮れないうちに六郷の渡しを越えてしまえば、今夜は神奈川に泊まることが出来るというので、三人は急いで出た。
 見送りに来た多吉と幸次郎に品川で別れて、半七らは鮫洲《さめず》から駕籠に乗った。予定の通りに神奈川の宿《しゅく》に泊まって、あくる十五日に横浜にはいると、きょうは朝から晴れて残暑が強かった。戸部の奉行所へ行って、係りの役人らにも逢って、諸事の打ち合わせをした上で、半七らは三五郎に案内されて、居留地の異人館を一応見とどけに行った。ハリソンの自宅には錠がおろしてあるので、三五郎はその隣りに住む同国人のヘンリーをたずねた。ヘンリーは団子坂の道連れで、ハリソンの空家の監理人となっているのである。
 かの事件以来、ヘンリーは奉行所へも再三出頭して、三五郎の顔を見識っているので、すぐに鍵を持って出た。彼は三人を案内して、ハリソンの家内を見せてくれたので、半七と松吉はめずらしそうに見てあるいた。ヘンリーは片言《かたこと》ながらも日本語を話すので、半七は参考のためにいろいろの質問を提出したが、双方の言葉がよく通じないので、要領を得ないことが多かった。
「奉行所から通辞《つうじ》を頼んで来ればよかったな」と、半七は自分の不注意を悔んだ。
 ハリソンの部屋で、半七は三脚のある機械を見つけた。彼はそれを指さして訊いた。
「これ、何ですか」
「それ、フォト……。おお、シャシンあります」と、ヘンリーは答えた。
「ははあ、写真か」と、半七はうなずいた。
 わが国における写真の歴史を今ここに詳しく説いている暇はないが、安政元年の春頃から我が国にも写真術の伝わっていた事をことわって置きたい。アメリカの船員が我が役人らを撮影し、あわせてその技術を教えたのが嚆矢《こうし》であると云う。その以来、写真術は横浜に広まって、江戸から修業にゆく者もあった。ことし文久二年は、それから八年の後であるから、横浜は勿論、江戸にも写真術をこころ得ている者が相当にあったことを知らなければならない。但しその時代の写真師は、特別の依頼に応じて撮影するか、或いは風景の写真を販売するかに留まって、明治以後の写真店のように一般の来客を相手に開業する者はなかったらしい。しかも世に写真というものがあり、江戸にも横浜にも写真師という者があることを、半七はかねて知っていたので、一種の好奇心を以って、その三脚の機械をしばらく眺めていると、ヘンリーは更に説明した。
「ハリソンさん、シャシン上手ありました。日本人、習いに来ました」
「その日本人はなんといいますか」と、半七は訊いた。
「シマダさん……。長崎の人あります」
「年は幾つですか」
「年、知りません。わかい人です。二十七……二十八……三十……」
 だんだん訊いてみると、そのシマダという男は長崎から横浜へ来て、写真術を研究しているが、日本人に習ったのでは十分の練習が出来ないというので、何かの伝手《つて》を求めてハリソンの家へ出入りするようになった。ハリソンは商人で、もとより専門家ではないが、写真道楽の腕自慢から、喜んでシマダにいろいろの技術を教えた。シマダも器用でよくおぼえた。その以上のことは、ヘンリーの日本語が不完全のために詳しく判らなかった。
 シマダは横浜に住んでいたが、去年の十一月の火事に焼けて、ひと月あまりはハリソンの家の厄介になっていたことがある。それから神奈川に引き移って、今もそこに住んでいる筈であるが、ヘンリーはその居どころを知らないと云った。
「ハリソンが死んでから、シマダという人はここへ来ましたか」と、半七は訊いた。
「ハリソンさん、八日の晩に死にました。その後、シマダさん一度もまいりません。知らせてやりたいと思いますが、シマダさんの家《うち》、知りません」
「犬はどうしました」と、半七はまた訊《き》いた。
「犬……犬……」と、ヘンリーは顔をしかめながら云った。「死にました、殺されました。犬の死骸、川に沈んでいました」
 彼はその事実を完全に云い現わせないらしく、しきりに手真似をして説明するところによると、ハリソンの飼い犬はよほど残虐な殺され方をしたらしい。眼玉をくり抜き、舌を切り、喉を刺し、腹を裂き、あらん限りの残虐な手段を用いた上で、その死体を川へ投げ捨てたらしく、きのうの朝、即ち三五郎が江戸へ出ている留守中に発見されたのである。なぜそんな残酷な殺し方をしたのか、ヘンリーにも想像が付かないと云うのであった。
「あなた、シマダという人の写真、持っていませんか」と、半七は重ねて訊いた。
「わたくし、ありません」と、ヘンリーは答えた。
 しかしハリソンはシマダを撮影したことがあるに相違ないから、何かの必要があるならば調べてみようと云うので、ヘンリーはハリソンの机のひき出しや手文庫などを捜索して、四五十枚の写真を見つけ出して来た。さすがは写真道楽だけあって、人物や風景や、みな鮮明に写し出されているのを、半七らは感心しながら覗いていると、ヘンリーはやがて一枚の写真をとりあげた。
「ありました、ありました。これシマダさんあります」
 半七はその写真を受け取って眺めると、成程それは二十七八から三十ぐらいの細おもての男で、その人品も卑しくなかった。
「おめえはこれを知らねえか」と、半七はその写真を三五郎に見せた。
「知りませんね」
「多吉を連れて来ればよかったな」
 云ううちに、ヘンリーは更に他の写真をテーブルの上にならべた。それは本牧《ほんもく》あたりの風景の写真であった。次に列べられた一枚の写真――それをひと目見ると、半七も松吉も思わず身を動かした。それは女の裸体写真
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