す」
 お角の腕は半七の想像以上に凄いものであるらしかった。

     五

「お角が蟹の写真を撮らせたのは、いつ頃のことだね」と、半七は訊いた。
「六月の初め……五、六日頃の事とおぼえています」と、吾八は説明した。「これは先生もお角もわたくしには隠しているので、詳しいことは判りませんが、なんでも二人が夕がたに酔って帰って来て、奥で話しているのを聞きますと、お角はそのとき裸の写真を撮らせたらしいのです。お角は酔ったまぎれに大きな声でこんなことを云っていました……。いくらあたしのような女でも、あんな恥かしい事をしたのは生まれて初めてだ。それもみんなお前さんの為じゃあないか。だが、あとになって考えてみると、あんな真似をして二十ドルは廉《やす》かった。五十ドルも取ってやればよかった……。それを宥《なだ》めているような先生の声は低いので、よく聴き取れませんでした。その晩はそれで済んで、その明くる日からはいつもの通りに仲好くしていましたが、お角はその二十ドルを先生に渡さないらしいのです。口ではお前さんの為だなぞと云いながら、先生には一文もやらないようでした」
「お角はほかに情夫《おとこ》でもあるのか」
「そんな疑いがある様子で、先生とお角とは仲がいいように見えながら、また時々には喧嘩なぞをする事もありました。お角は六月の十日《とおか》過ぎに家を出て、二十日《はつか》頃まで姿を見せませんでしたが、又ふらりと帰って来て、別に変ったこともなしに暮らしていましたが、その晦日《みそか》の朝です。先生とお角は二人連れで出かけましたから、多分ハリソンの家へ行ったのだろうと思っていますと、やはり夕がたに帰って来ましたが、その時にはわたくしも驚きました」
「何をおどろいたのだ」
「先生もすこし蒼い顔をしていましたが、お角は真っ蒼な顔をして、眼は血走って、髪をふり乱して、まるで、絵にかいた鬼女《きじょ》のような顔をして、黙ってはいって来たかと思うと、だしぬけに台所へかけ込んで、出刃庖丁を持ち出して来て、先生に切ってかかりました。先生は庭から表へ飛び出して、畑の方へ逃げて行くと、お角もつづいて追っかけて行きました。何がなんだか判りませんが、わたくしも驚いて駈け出しました。御承知の通り、近所に人家もなく、もう日暮れがたで往来もありません。わたくしは一生懸命に追い着いて、うしろからお角を抱きとめると
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