月にだいぶ焼けたと云うから、また様子が変っているかも知れねえ」
「横浜は焼けましたかえ」
「十月の九日から十日の昼にかけて、町屋《まちや》はずいぶん焼けたそうだ。異人館は無事だったと云うから、ハリソンの家《うち》なんぞは元のままだろう。火事を逃がれても、夫婦が殺されちゃあなんにもならねえ」
「浪士が斬り込んだのじゃあありますめえね」
「おれも一旦はそう思ったが、侍ならば刀でばっさりやるだろう。小刀のようなもので喉を突いたり犬を使ったり、そんな小面倒なことをしやあしめえ」
「そうでしょうね。じゃあ、あした又、様子を聞きに来ます」
 多吉の帰ったあとで、半七は旅支度にかかった。横浜までは一日の道中に過ぎないが、その時代には一種の旅である。半七は女房に云いつけて、新らしい草履や笠を買わせた。

     三

 あくる朝、半七は八丁堀同心の屋敷へ行って、丹沢五郎治をたずねた。丹沢は去年の団子坂一件に立ち会った関係があるので、その異人夫婦の死を聞かされて眉をよせた。
「よくよく運の悪い連中だな。そういう訳なら行って見てやれ」
 彼も多吉とおなじように、こんな事がいつまでも捗取《はかど》らないと、外国人に対して上《かみ》の御威光が自然に薄らぐ道理であるから、せいぜい働いて早く埓を明けろと云った。
 半七は承知して神田の家へ帰ると、松吉は朝から待っていた。やがて三五郎も来た。三人が午飯《ひるめし》を食いながら相談の末に、あしたを待つまでもなく、これからすぐに発足《ほっそく》することになった。秋といっても七月の日はまだ長い。途中で駕籠を雇って、暮れないうちに六郷の渡しを越えてしまえば、今夜は神奈川に泊まることが出来るというので、三人は急いで出た。
 見送りに来た多吉と幸次郎に品川で別れて、半七らは鮫洲《さめず》から駕籠に乗った。予定の通りに神奈川の宿《しゅく》に泊まって、あくる十五日に横浜にはいると、きょうは朝から晴れて残暑が強かった。戸部の奉行所へ行って、係りの役人らにも逢って、諸事の打ち合わせをした上で、半七らは三五郎に案内されて、居留地の異人館を一応見とどけに行った。ハリソンの自宅には錠がおろしてあるので、三五郎はその隣りに住む同国人のヘンリーをたずねた。ヘンリーは団子坂の道連れで、ハリソンの空家の監理人となっているのである。
 かの事件以来、ヘンリーは奉行所へも再三出頭し
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