の達人で、近授流の免許を受けていました。近授流というのは一場藤兵衛が師範で、文政の末に一場家滅亡と共に一旦断絶したのですが、天保以後に再興して、その流儀を学ぶ者が出来ました。御承知でもありましょうが、武家が馬術を学ぶのは自分の嗜《たしな》みにすることで、師範の家は格別、普通の者は馬術がよく出来るからといって立身出世することは出来ません。それですから、ひと通り以上に馬術を稽古するのは、馬に乗ることが好きだという人で、云わば本人の道楽です。神原は三千石の大身《たいしん》で、馬に乗るのが大好きでした。同じ道楽でも、武士としては誠に結構な道楽で、広い屋敷内に馬場をこしらえて毎日乗りまわし、時には方々へ遠乗りに出る。厩には三匹の馬を飼って、二人の馬丁を置いていました。そのなかでも平吉がお気に入りで、遠乗りの時なぞには大抵この平吉がお供をしていました。
 いつぞやお話をした『正雪の絵馬』と同じように、道楽が昂《こう》じると、とかくに何かの間違いが起こり易いものです。神原という人も決して馬鹿な人物ではなかったんですが、好きなことには眼がくらむ。このごろ異人が日本へ渡って来て、西洋馬に乗り歩くのを見る
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