は翌あさ八丁堀同心の屋敷へ行って、今度の一件に対する自分の見込みを報告し、あわせて寺社方への通達を頼んで帰った。寺社方に捕り手は無いのであるから、その承諾を得れば町方《まちかた》が手をくだしても差し支えはない。まずその手続きを済ませた上で、半七は更に北千住の掃部宿《かもんじゅく》へむかった。
 きょうは朝から曇って、この二、三日のうちでも取り分けて涼しい日であった。千住の宿《しゅく》を通りぬけて、長い大橋を渡ってゆくと、荒川の秋の水が冷やかに流れていた。掃部宿へゆき着いて、丸屋という質屋をたずねると、すぐに知れた。質屋と云っても半分は農家で、相当の身上《しんしょう》であるらしい。その裏手に二軒の家作《かさく》があって、大工や左官などがはいっていた。
「もし、長さんは来ていますかえ」と、半七はそこにいる大工の小僧に訊《き》いた。
「ええ、長さんはそこにいますよ」
 小僧はあたりを見まわして、一人の若い男を指さして教えた。彼は二十三四の職人であるが、しるし半纒の仕事着も着ないで、唯の浴衣《ゆかた》を着たままで、猫柳の下にぼんやりと突っ立って、他人《ひと》の仕事を眺めていた。よく見ると、かれは右の手を白布で巻いていた。顔にも二三ヵ所カスリ疵があった。彼は何か喧嘩でもして、右の手を痛めた為に、きょうは仕事を休んでいるのであろうと察せられた。
「おまえさんは大工の長さんだね」と、半七は近よって声をかけた。
「ええ、そうです」と、長助は答えた。
「おととい私の内の松吉がおまえさんに逢って、浅草の話を聴いたそうだが……」
 長助は俄かに顔の色をかえて、恐れるように半七をじっと見つめた。彼は松吉の商売を知っている。したがって、半七の身分も大抵想像したのであろう。それにしても、人を恐れるような彼の挙動が半七の注意をひいた。
「済まねえが、そこまで顔を貸してくれ」
 半七は彼を誘って、七、八間ほども距《はな》れた茗荷《みょうが》畑のそばへ出た。
「おめえ、きょうは仕事を休んでいるのか」
「へえ」と、長助はあいまいに答えた。
「怪我をしているようだな。喧嘩でもしたのかえ」
「へえ、詰まらねえことで友達と……」
 職人が友達と喧嘩をするのは珍らしくない。唯それだけの事で、彼が顔の色を変えたり、人を恐れたりする筈がない。半七は俄かに覚った。
「おい、長助。おめえは友達と喧嘩したのじゃああるめ
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