いるからであると云う。関口屋でも本当にそれを信じていたわけでも無かったが、ともかくもこの時節だから、いいと云うことは真似るがいいと思って、自分の庭に大きい八つ手の木があるのを幸いに、その葉を折って店の軒さきに吊しておいた。
 翌日の午後、お琴が店へ出てみると、軒の八つ手の大きい葉がもう枯れかかって、秋風にがさがさと鳴っていた。枯れてしまっては呪《まじな》いの効目《ききめ》もあるまいと思ったので、お琴は庭から新らしい葉を折って来て、人に頼むまでもなく、自分がその葉を吊り換えようとする時、ふと見ると古い枯葉には虫の蝕《く》ったような跡があった。更によく見ると、その虫蝕いの跡は仮名文字の走り書きのように読まれた。おそでしぬ――こう読まれたのである。お袖死ぬ――お琴はぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]とした。
 彼女はお由をそっと呼んで、八つ手の古い葉を見せると、お由もその虫蝕いのような仮名文字を「おそでしぬ」と読んだ。八つ手に虫の付くことは少ない。しかもその枯れかかった葉のおもてに、「お袖死ぬ」という虫のあとを残したのである。
 きのうの今日であるから、お琴は総身《そうみ》の血が一度に凍ったように
前へ 次へ
全51ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング