れが何か嗅ぎ出したとみえて、明くる日になると野原にあつまって、頻りに吠える。初めは打っちゃって置いたんですが、あまり吠えるので大吉親子も不安心になった。もしや死骸の埋めてある所を掘り返されたりしては困る。犬がむやみに吠えると人に怪しまれるかも知れない。二人は鋤《すき》と鍬《くわ》を持って現場を見届けに出て行くと、死骸に別条はない。集まっている犬を追い散らして、芒をかき分けながら帰って来ると、丁度わたくし共と顔をあわせた。それが二人の運の尽きで、さっきお話し申したような事になってしまいました。どう考えても悪いことは出来ませんね」
「四百両のゆくえは知れないんですか」
「次右衛門の店の床下に埋めてありました。その金はどう処分されたか確かには知りませんが、都合よく関口屋の手へ渡ったように聞いています。関口屋の娘のお袖は、かむろ蛇の正体が判ったので、急に気が強くなったのでしょう、やがて全快して元のからだになりました。この娘が大吉らに狙われた御本尊でありながら、とうとう無事に助かりました。人間の運は判りません」
「八つ手の葉にお袖死ぬと書いたのは、お由の仕業ですか」
「お由の小細工です。わたくしはその実物を見ませんが、なにかの焼き薬か腐れ薬で虫蝕《むしく》いのように書いたんでしょう。気をつけて見たらば、お由の筆蹟だと云うことも判ったんでしょうが、そこが素人の不注意で仕方がありません。いや、わたくし共の商売人でも時々に飛んだ不注意の失敗をやりますから、素人を咎めるわけには行きませんよ。八丁堀の役人だって、岡っ引だって、みんな神様じゃあない。時には案外の見込み違いをして、あとで大笑いになることがありました」
云いかけて、老人は笑い出した。
「大笑いと云えば、こんな事があります。明治以後、氷川明神が服部《はっとり》坂へ移されてからのお話ですが、小石川の縁日にかむろ蛇の観世物《みせもの》が出ました。これは昔から氷川の明神山に棲んでいた大評判のかむろ蛇でございと云うんですが、よくよく聞いて見ると、どこからか大きい青大将を生け捕って来て、その頭へコールターを塗って、頭の黒いかむろ蛇と囃し立てていたのだそうで……。明治の初年には、こんないかさま[#「いかさま」に傍点]の観世物がまだ幾らも残っていました。ははははは」
底本:「時代推理小説 半七捕物帳(五)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年10月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:小林繁雄
1999年4月25日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全13ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング