領でありながら、関口屋の身代《しんだい》を弟の次兵衛に取られてしまったので、内心甚だ面白くない。しかし次兵衛は元来いい人ですから、兄きはこれに娘を預けて置いて、万事よろしく頼んでいればいいのですが、それではどうも気が済まない。又その娘のお由というのが気の勝った女で、関口屋の娘とは従妹《いとこ》同士でありながら、表向きは奉公人同様に働かされているのが口惜《くや》しくてならない。そんなわけで、関口屋の方ではやがて相当の婿をさがして、行く末の面倒を見てやろうと思っているのに、次右衛門親子は内心|修羅《しゅら》を燃やして、なにか事あれかしと狙っているという始末、それでは無事に納まる筈がありません。どうしてもひと捫著《もんちゃく》おこるのは知れています。そこへかの大吉が煙草を仕入れるために、関口屋へ毎日出入りをする。男娼あがりで、男振りも優しく、口前もいいので、お由はいつか大吉と出来合ってしまったんです。うわべは柔らかでも肚《はら》のよくない大吉、これが次右衛門親子と共謀して、ひと芝居打つことになったんです」
「その芝居の筋立ては……」
「芝居の筋立ては、関口屋のひとり娘を殺してしまって、従妹同士のお由をその相続人に直そうという策略です。ひとり娘のお袖がコロリで死んでくれれば申し分はないが、お誂え向きにも行かない。さりとて毒殺などをすれば、あとが面倒。そこで考えたのがかむろ蛇です。お袖親子がこのごろ水道端の氷川明神へ参詣に行くのを幸いに、まずかむろ蛇で嚇かして置いて、それからお袖を殺すことにする。殺す方法は毒蛇に咬ませる。かむろ蛇のことは世間でも知っているから、その祟りで蛇に殺されたと云えば疑う者もあるまい。親の次兵衛は迷信者だから、勿論うたがう筋はない。今の人から思えばちっと拵え過ぎた芝居のようですが、なにしろかむろ蛇の信じられていた時代ですから、それを利用してこんな芝居も考えられたんです。
 その頃、湯島天神の境内《けいだい》にも芝居小屋がありました。その芝居に出ている力三郎という子役を大吉が借りて来て、明神山にかむろ蛇の姿をあらわすという趣向……。なんと云っても芝居の子役ですから、こういう役には都合がよかったでしょう。殊にお袖親子が参詣の時には、一味徒党のお由も一緒に付いて行ったのですから、怪談がかりの芝居をうまく運んだと見えます。その芝居が図にあたって、娘は気病《きやみ》になる。おふくろも半病人になる。おまけに長屋の大工がコロリで死ぬ。そこを狙って、いよいよお袖を殺す段取りになる。その蛇は大吉が捕って来て、お由に渡しました。今とちがって、その頃の小石川あたりには蛇や蝮は幾らでも棲んでいましたから、近所の藪《やぶ》からでも捕って来たんでしょう。それを小さい箱に入れて、それをお由に渡したんです」
「蝮ですか」
「蝮です。お由は夜なかにそれを持ち出して、お袖の蚊帳《かや》の中に放そうとしたんですが、やっぱり悪いことは出来ないもので、その蝮をとり出すときに誤って自分が咬まれてしまって……。どこを咬まれたのか知りませんが、忽ちに毒がまわって死んだという訳です。人を呪わば穴二つとか云うのは、まったくこの事でしょう。思いもよらない仕損じに、大吉も次右衛門もびっくりしたが、今更どうにもならない。そこで今度は法を変えて、怪しい死に方をした娘の死骸は引き取れないと、親の次右衛門から因縁をつけて、とうとう関口屋から六百両をまき上げました」
「その六百両のために、次右衛門は殺されることになったんですね」
「お察しの通り」と、老人はうなずいた。「それに就いては、大工の年造のお話をしなければなりません」
「私もそれが気になっていました。年造はどうして生きていたんです」
「まあ、お聴きなさい。年造は湯島の早桶屋へ手伝いに行っていて、亭主の伊太郎がコロリで金儲けをしたのを知って、夜なかに忍び込んで亭主を殺し、女房に疵をつけて、十両ばかり金を取りました。その時に、隣りの大吉も一緒に行って、表で見張り番を勤めていたんです。ところが、天罰と云うのか、運がいいと云うのか、年造はコロリに罹《かか》って、善八が召し捕りにむかった時には、もう死んでいました。そのときに善八がもう少し上手に大吉を調べれば、こいつも同類という見あらわしが出来たんですが、そこまでは行かないで一旦は見逃がしました。
 それから年造の死骸を千住の焼き場へ持って行くと、コロリ騒ぎで焼き場は大繁昌、五十も六十も棺桶が積んであって、とても右から左には焼けないというので、棺桶をそのまま預けて帰りました。その頃の焼き場は乱暴なもので、殊に大混雑の際だから滅茶苦茶です。そこで、近所の者が棺桶を置いて帰った後、どうしたものか年造は息を吹きかえして、棺桶を毀して這い出しました。夜は更けて、あたりは真っ暗、もちろん誰に
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