云った。「そりゃあ飛んでもねえ。そうしていつ死んだね」
「きのうの午過ぎに……」
「やれ、やれ」と、男は舌打ちした。
葬式はまだ済まないというのを聞いて、男は急いで露路のなかへ駈け込んだ。彼は線香の煙りのただよう門口《かどぐち》から声をかけた。
「もし、年造は死んだのかえ」
「きのう亡くなりました」と、入口にいた大吉が答えた。「どうぞこちらへ……」
悔みに来たと思いのほか、男はつかつかと内へはいって、六畳の隅に横たえてある若い大工の死体をながめた。彼は忌々《いまいま》しそうに舌打ちした。
「畜生、運のいい野郎だ」
コロリで死んで運がいいとは何事かと、一座の人々はおどろいた。いずれも呆気《あっけ》に取られたように男の顔を見つめていると、その疑いを解くように彼は説明した。
今から四日前の晩に、湯島天神下の早桶屋伊太郎が何者にか殺された。前にも云う通り、このごろはコロリの死人が多いので、どこの早桶屋も棺を作るのに忙がしく、自分たちの手では間に合わないので、大工や桶屋などを臨時に雇い入れて手伝わせた。一人前の職人は棺桶などを作ることを嫌ったが、腕のにぶい者や若い者は手間賃《てまちん》の高いのを喜んで、方々の早桶屋へ手伝いに行った。ここの家《うち》の年造もその一人で、先日から彼《か》の伊太郎の店に働いていたのである。
伊太郎が何者にか殺されたのは、その金に眼をつけたものと認められた。早桶屋に取っては、疫病神は福の神で、商売繁昌のために伊太郎は意外の金儲けをした。それが禍《わざわ》いとなって、伊太郎は殺され、女房は傷を負った。詮議の末に、その盗賊の疑いは雇い大工の年造にかかって、召し捕りに来て見ると此の始末である。召し捕られて重罪に処せられるよりも、コロリで死んだが優《ま》しであろう。運のいい野郎だ、と云われたものも無理はなかった。
召し捕りに来て失望した男は、神田の半七の子分の善八であった。こうなっては空《むな》しく引き揚げるのほかはなかったが、それでも年造の平素の行状や、死亡前の模様などを一応取り調べて置く必要があるので、年造と最も親しくしていたと云う隣家の大吉が表へ呼び出された。善八は井戸端の柳の下に立って、暫く大吉を調べて帰った。
「おどろいたねえ」
「人は見かけに因らねえものだ」
「年公もちっとは道楽をするが、まさかにそんな恐ろしい事をしようとは思わなかった」
コロリで死んだ年造に対して、人々の同情が俄かにさめた。まったく運のいい野郎だと云うことになってしまった。さりとて今更その死骸を捨てて帰るわけにも行かないので、人々は迷惑ながら日の暮れるのを待っていると、暮れ六ツ頃に棺桶をとどけて来たので、すぐに死体を押し込んで担《かつ》ぎ出した。
店子《たなこ》が死んだのであるから、家主《いえぬし》も見ていることは出来ない。関口屋でも主人の名代《みょうだい》として店の者に送らせる筈であったが、それがコロリの葬式《とむらい》であるばかりでなく、本人は恐ろしい罪人であるという噂を聞いて、店の者らは送って行くことを嫌った。それを無理にとは云いかねて、関口屋でも少し困っていると、女中のお由が行こうと云い出した。
「お前は女だからお止しなさいよ」と、お琴は一応止めた。しかし誰か行かなければ悪いから私が行きますと云って、お由がとうとう行くことになった。
「お由さんはコロリが怖くないのかしら」
「なに、大さんと一緒に行きたいんだよ」
ほかの女中たちはささやいていた。煙草屋の大吉は二十三四で、色白の華奢《きゃしゃ》な男であった。
秋の宵の暗い露路から提灯の火が五つ六つ寂しくゆらめいて、年造の棺桶は送り出された。五ツを過ぎたころにお由は帰って来て、千住《せんじゅ》の焼き場には棺桶が五十も六十も積んであるので、とてもすぐに焼くことは出来ない。今夜はそのままに預けて置いて、七日か八日の後に骨揚《こつあ》げに行く筈であると云った。コロリのために焼き場や寺が混雑することはかねて聞いていたが、いま又そんな報告を聞かされて、関口屋の一家も暗い心持になった。
そのなかでも、更にお琴の心を暗くする事があった。お由はおかみさんにそっと話した。
「ゆうべお通夜をしている時に、白地の着物を着た女の子が裏の木戸から覗いていたそうです」
「うちの裏口を覗いていたのかえ」と、お琴は顔の色を変えた。
「煙草屋の大さんが見たそうです。甚さんも見たと云います」
かむろ蛇、八つ手の葉、それにおびえ切っている矢さきへ、又もやこの話を聞かされて、お琴は眼がくらみそうになった。白地の着物を着た女の子は、明神山から降りて来たらしい。お袖死ぬという、その呪われた運命がいよいよ迫って来たように思われた。
今まではお袖にもお由にも口留めをして、自分ひとりの胸におさめていたが、お琴
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