ねえからの事で、確かに蝮に咬まれたのかどうだか、医者にもよく見立てが付かねえようですよ」
「やっぱり蝮だろうな」と、半七は云った。
「蝮でしょうか」と、善八もうなずいた。「そうすると、喧嘩にもならねえ。いくら次右衛門がじたばたしても、追っ付かねえ訳ですね」
「いや、喧嘩にならねえとも限らねえ。そのお由というのはどんな女だ」
「お由は十九で、家《うち》の娘とは一つ違いです。家の娘はお袖と云って、ことし十八。表向きは主人と奉公人のようになっていますが、つまり従妹《いとこ》同士《どうし》で、どっちも容貌《きりょう》は良くも無し、悪くも無し、まあ十人並というところでしょうが、お由の方が年上だけにませていて、男好きのする風でした」
「関口屋の裏の四軒長屋には誰と誰が巣を食っている……」
「コロリで死んだ大工の年造、それから煙草屋の大吉、そのほかに仕立屋職人の甚蔵、笊《ざる》屋の六兵衛……。甚蔵と六兵衛には女房子《にょうぼこ》があります」
「大吉というのは年造の隣りにいる奴だな。そりゃあどんな奴だ」
「二十三四の、色の生《なま》っ白《ちろ》い、華奢《きゃしゃ》な奴です。生まれは上方《かみがた》で、以前は湯島の茶屋にいたとか云うことですよ」
「湯島の茶屋にいた……。男娼《かげま》のあがりか」
「そんな噂です」
「そうか」
 半七は薄く眼を瞑《と》じて、又かんがえていた。

  四

 関口屋の娘お袖は煩い付いた。
 医者にもその病症がよく判らないのであったが、お由の変死につづいて、娘が煩い付いたのであるから、関口屋の夫婦には大抵その病いの原因が想像されないでも無かった。今度は自分の番であると思えば、女房も生きた心地はなく、これも食事が進まないようになって、やがては半病人の体《てい》になってしまった。いかに秘密を守っても、何かの事が口《くち》さがない奉公人らから洩れ伝わって、かむろ蛇のうわさが近所近辺に拡がった。コロリも恐ろしいが、かむろ蛇も恐ろしい。関口屋の一家は今にみんな執《と》り殺されてしまうであろうなど、途方もないことを云い触らす者もあった。
 その最中に、又もやその長屋うちに一つの怪談が伝えられた。仕立屋職人甚蔵の女房が夜の四ツ(午後十時)近い頃に、近所の湯屋から帰って来ると、薄暗い露路のなかで一人の男に摺れ違った。それが彼《か》の大工の年造の姿に相違ないように思われたの
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