るであろうと思ったのである。こうして土地の人たちから遠ざけられているにも拘らず、彼はやはり商売に廻って来た。子供が買っても買わなくても、かれは鉦《かね》をたたいて、おかしな唄を歌って、唐人のカンカン踊りを見せていた。この頃は碌々に商売もないのに、根《こん》よく廻って来るのは怪しいと、人々はいよいよ白い眼を以って彼を見るようになったが、彼は一向に平気であるらしかった。或る人がその名を訊《き》いたらば、虎吉と答えた。家は四谷の法善寺門前であると云った。
 四月十一日の朝である。久保町の豆腐屋定助が商売柄だけに早起きをして、豆腐の碓《うす》を挽《ひ》いていると、まだ薄暗い店先から一人の女が転げるように駈け込んで来た。
「ちょいと、大変……。あたし、本当にびっくりしてしまった」
 女は、この町内の実相寺門前に住む常磐津の師匠文字吉で、なんの願《がん》があるか知らないが、早朝に熊野さまへ参詣に出てゆくと、御熊野横町、即ち彼《か》の羅生門横町で人間の片腕を見付けたと云うのである。
「あの羅生門横町で……。又、人間の腕が……」
 定助も顔の色を変えた。しかも彼は自分ひとりで見届けに行くのを恐れて、文
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