字吉同道で先ず町《ちょう》役人の門《かど》を叩いた。それから近所へも触れて歩いた。
 人間の腕が往来に落ちていたというのは、勿論一つの椿事|出来《しゅったい》に相違ないが、それが彼の羅生門横町であるだけに、一層ここらの人々を騒がせた。これで腕斬りが三年つづく事になるのであるから、御幣《ごへい》かつぎの者でなくても、又かと顔をしかめるのが人情である。近所近辺の人々は寝ぼけ眼《まなこ》をこすりながら、われ先にと羅生門横町へ駈けつけると、彼等をおどろかす種がまた殖えた。
「あの腕は……。唐人飴屋だ」
 往来に落ちていたのは男の左の腕で、着物の上から斬られたと見えて、その腕には筒袖が残っていた。筒袖は誰も見識っている唐人飴の衣裳である。疑問の唐人飴屋がここで何者にか腕を斬られたに相違ない。それに就いて又いろいろの噂が立った。
「あいつはいよいよ泥坊で、お武家の物でも剥ぎ取ろうとして斬られたのだ」
「いや、泥坊には相違ないが、仲間同士の喧嘩で腕を斬られたのだ」
 いずれにしても、尋常の唐人飴屋が夜更《よふ》けにここらを徘徊している筈がない。斬られた事情はどうであろうとも、彼が盗賊であることは疑うべくもない。たとい腕一本でも、それが人間のものである以上、犬や猫の死骸と同一には取り扱われないので、町でも訴え出での手続きをしている処へ、ひとりの男がふらりとはいって来た。
 男は半七の子分の庄太であった。庄太は浅草の馬道《うまみち》に住んでいながら、その菩提寺は遠い百人町の海光寺であるので、きょうは親父の命日で朝から墓参に来ると、ここらには唐人飴の噂がいっぱいに拡がっていた。彼も商売柄、それを聞き流しには出来ないので、町役人の玄関へ顔を出したのである。
 彼は先ずその腕を見せて貰った。その腕に残っていた筒袖をあらためた。その飴屋の年頃や人相や、ふだんのあきない振りなどに就いても聞きあわせた。それから熊野権現の近所へまわって、羅生門横町の現場をも取り調べた。ここは山尻町との境で、片側には小さい御家人《ごけにん》と小商人《こあきんど》の店とが繋がっているが、昼でも往来の少ない薄暗い横町で、権現のやしろの大榎《おおえのき》が狭い路をいよいよ暗くするように掩《おお》っていた。
 庄太が帰ったあとで、又もやここらの人々をおどろかしたのは、かの唐人飴の虎吉が、相変らず鉦《かね》を叩いて来たことである。腕斬りの一件を聴いて、かれは眼を丸くして云った。
「それは驚きましたね。だが、わたしはこの通りだから御安心ください」
 彼は両手をひろげて、いつものカンカン踊りをやって見せた。その両腕はたしかに満足に揃っていた。こうなると、ここらの人々は唯ぽかん[#「ぽかん」に傍点]と口を明いているのほかは無かった。

     二

 神田三河町の半七の家では、親分と庄太が向かい合っていた。
「だが、土地の奴らも愚昧《ぼんくら》ですよ」と、庄太は笑った。「土地の奴らはまあ仕方がないとしても、町役人でも勤める奴らはもう少し眼が明いていそうなものだが……。その腕は現場で斬られたものじゃあねえ、何処からか捨てに来たのか、犬がくわえて来たのか、二つに一つですよ。人間の腕一本を斬ったら、生血《なまち》がずいぶん出る筈だが、そこらに血の痕なんか碌々残っていやあしません」
「初めにそれを見付けたという常磐津の師匠はどんな女だ」と、半七は訊《き》いた。
「実相寺門前にいる文字吉という女で、わっしがたずねて行ったときには、湯に行ったとか云うので留守でしたが、近所の話じゃあ何でも年は三十四五で、色のあさ黒い、力《りき》んだ顔の、容貌《きりょう》は悪くない女だそうで……。浄瑠璃は別にうまいという程でもねえが、なかなか良い弟子があって、ずいぶん遠い所から通って来るのがあるので、場末の師匠にしては内福らしいという噂です」
「文字吉には旦那も亭主もねえのか」と、半七はまた訊いた。
「旦那はあります」と、庄太は答えた。「原宿|町《まち》の倉田屋という酒屋の亭主だそうですが、文字吉は感心にその旦那ひとりを守っていて、ちっとも浮気らしい事をしねえばかりか、その旦那に遠慮して男の弟子をいっさい取らねえと云うのです。今どきの師匠にゃあ珍らしいじゃありませんか」
「めずらしい方だな。奉行所へ呼び出して、鳥目《ちょうもく》五貫文の御褒美でもやるか」と、半七は笑った。
「師匠はまあそれとして、さてその腕の一件だが……。その唐人飴屋というのは何奴かな。家《うち》はどこだ」
「四谷の法善寺門前の虎吉という奴だと聞きましたから、実は帰り路に四谷へまわって、北|町《まち》の法善寺門前を軒別《のきなみ》に洗ってみましたが、虎も熊も居やあしません。野郎、きっと出たらめですよ」
「そうかも知れねえ。だが、この広い江戸にも唐人飴が五
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