案の通りでした。つまりは色と慾との二筋道《ふたすじみち》で、女が女を蕩《たら》して金を絞り取る。これだから油断がなりませんよ」
「そうすると、小三津という女役者もそれに引っ懸かったんですね」
「そうですよ」と、老人はうなずいた。「小三津は人気役者で、容貌《きりょう》もよし、小金も持っている。それに眼をつけて、最初は贔屓《ひいき》のように見せかけて、うまく丸め込んでしまったんです。どういう手があるのか知りませんが、この『男女』に引っかかると、女はみんな夢中になること不思議で、小三津も文字吉に魂を奪われてしまって、持っている金も着物も片っ端から入れ揚げる。それを師匠の小三に覚られて、幾たびか意見されても小三津は肯《き》かない。これだけでも無事には済みそうもないところへ、又ひとつの事件が出来《しゅったい》しました。それは国姓爺の芝居です」
「鳳閣寺の芝居ですね」
「さっきもお話し申した通り、ここの芝居は女役者の一座ですから、男と女と入りまじりの芝居は出来ない。そこで、今度の国姓爺を上演するに就いては、虎狩の虎を勤める役者に困ったので、浅川町の男芝居から市川岩蔵と照之助の兄弟を引っこ抜いて来ました。岩蔵はごろつきのような奴ですから、金にさえなれば何でも引き受けるというわけで、弟の照之助にすすめて虎を勤めさせ、自分も一緒に出て唐人の役を勤めることになりました。芝居の方じゃあ岩蔵に用はないが、照之助を借りる都合上、兄きも一緒に買ったのです」
「浅川の芝居では黙って承知したんですか」
「承知しません」と、老人は頭《かぶり》をふった。「おまけに、その国姓爺の評判がよくって、自分の芝居が圧《お》され勝になったから、猶さら承知しません。第一、男と女と入りまじりの芝居をするのは不都合だというので、浅川の方から鳳閣寺の芝居小屋へ掛け合いを持ち込んだが、四の五の云って埓が明かない。それを聞き込んだのが原宿の弥兵衛で、それなら俺の方から掛け合ってやる……。こういうときに口を利けば、両方から金がはいると思ったから、弥兵衛はそれを買い込んで、子分のひとりを女芝居へやって、少し話したいことがあるから、誰か来てくれと云わせました。
弥兵衛がはいると、どうも事面倒になると思って、芝居の方でもいろいろ相談の末に、岩蔵をたのんで原宿へやりました。岩蔵は博奕も打つ奴で、弥兵衛の家《うち》へも出這入りをしているから、こいつをやるがよかろうと云うことになったんです。岩蔵もよろしいと引き受けました。これも少し変った奴で、楽屋で一杯飲んだ勢いで、舞台の唐人衣裳を着たままで原宿の弥兵衛の家《うち》へ出かけると、弥兵衛はなにか急用があって表へ出たあとで、子分の角兵衛という奴が親分気取りで掛け合いを始めました。
ここで親分が掛け合ったら、なんとかおだやかに納まったかも知れませんが、唐人のままで押し掛けて来た岩蔵をみて、人を馬鹿にしやあがると角兵衛はむっ[#「むっ」に傍点]とした。岩蔵は又、角兵衛の奴めが親分顔をして威張りゃがると思って、これもむっ[#「むっ」に傍点]とした。そんなわけですから、この掛け合いも所詮《しょせん》無事には済みません。双方が次第に云い募って、角兵衛が『貴様も小屋の代人で出て来たからは、どうして俺たちの顔を立てるか、その覚悟はあるだろう』と云うと、岩蔵の方でも『知れたことだ、おれの首でもやる』と売り言葉に買い言葉、根が乱暴な連中だから堪まりません。角兵衛は『手めえの首なんぞ貰っても仕様がねえ。これから稼業が出来ねえように腕をよこせ』と云って、ほかの子分に出刃庖丁を持って来させました」
「腕を斬ったんですか」と、わたしもその乱暴におどろかされた。
「さあ、野郎、斬るぞと云って、角兵衛の方じゃあ少しは嚇かしの気味もあったのでしょうが、岩蔵はびくともしない。さあ、すっぱり[#「すっぱり」に傍点]やってくれと、左の腕をまくって出した。もう行きがかりで後へは引かれず、とうとう岩蔵の腕を斬ってしまったんです。そこへ親分の弥兵衛が帰って来て、さすがに驚いたが、今さら仕方がない。腕の喜三郎の芝居をそのままという始末。取りあえず近所の心やすい医者を呼んで手当てをしたが、これは外科でないから本当の療治は出来ない。まあいい加減なことをして、おふくろのお金を呼んで引き渡すと、お金はそれを自分の奉公さきへ連れ込んで養生させることにしました。
そんな物を担《かつ》ぎ込まれては、文字吉の家《うち》でも迷惑ですが、それを忌《いや》とも云われないのは、例の男女さんの秘密をお金に握られている為です。そこで怪我人を引き取ったのはいいが、斬られた腕も一緒に送って来たので、その始末に困った。羅生門の鬼の腕とは違って、もとの通りに継《つ》ぐわけには行かない。いっそ庭の隅へでも埋めてしまえばいいのに、
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