」
「きょうは来ねえか。二度あることは三度ある。今度はおれの番だと思ったわけでもあるめえが、なにしろ変な奴だな」と、半七も首をかしげていた。「それはまあそれとして、さしあたりは照之助の片を付けてしまおう。寺社の方へも断わって置いたから、もう遠慮はいらねえ。どこへでも踏ん込んで引き挙げるのだ」
そうなると、源次は下っ引で、蔭で働く人間であるから、表向きの捕物に顔は出せない。半七は亀吉だけを連れて行くことにして、その晩は別れた。夜半《よなか》から雨がふり出した。
青山には庄太が出張っている。こちらからは半七と亀吉が出てゆく。三人がかりで立ち騒ぐほどの大捕物でもないと思ったが、それからそれへと糸を引いて、また何事が起こらないとも限らないので、ともかくも三人が手分けをして働くことになった。
明くれば四月十四日、ゆうべの雨も今朝はうららかに晴れたので、半七と亀吉は早朝から青山へ出向いた。ここらの青葉の色も日ましに濃くなって、けさも時鳥《ほととぎす》が幾たびか啼いて通った。
鳳閣寺の門前には庄太が待っていた。
「お早うございます」と、彼は半七に挨拶して、寺の奥を指さした。「きょうは休みです。小三津のゆくえがまだ知れねえ。ほかにも休みの役者がある。座頭の小三も気を腐らして、血の道が起こったとか云って、これも楽屋入りをしねえ。そんなわけで芝居はわや[#「わや」に傍点]になってしまって、ともかくもきょうは休みの札《ふだ》を出しました。折角評判のいい芝居がめちゃめちゃになって、小屋の連中はおおこぼしですよ」
「そうか」と、半七はうなずいた。「なにしろ常磐津の師匠という奴が気になってならねえ。まずあすこを調べることにしよう」
三人は連れ立って、久保町の実相寺門前へゆくと、文字吉の家では何か女の罵るような声がきこえた。近寄って覗くと、四十近い女役者が弟子らしい若い女二人を連れて、格子のなかで押し問答をしている。その相手になっているのは雇い婆のお金である。双方ともに気が強いらしく、負けず劣らずに云い合っていた。
「あの年増が小三ですよ」と、庄太は小声で教えた。
「さあ、隠さずに小三津を出して下さい」と、小三は云った。「師匠が弟子を連れに来たのに不思議は無いじゃありませんか」
「不思議があっても無くっても、当人はいませんよ。大かた師匠を見限って、ほかの小屋へでも行ったのでしょう。ここの家《うち》へばかり因縁を付けに来たって仕様がない。おまえさんも国姓爺を勤める役者だ。唐《から》天竺《てんじく》まで渡って探して歩いたらいいでしょう」と、お金はせせら笑っていた。
喧嘩の火の手はいよいよ強くなるばかりである。小三は舞台の和藤内をそのままに、大きい眼を剥《む》いて又呶鳴った。
「シラを切っても、いけないいけない。あたしはちゃんと証拠を握っているのだ。ここの師匠は化けもんだ、女のくせに女をだまして、金も着物もみんな捲きあげて、仕舞いには本人の体《からだ》まで隠して……。並大抵のことじゃあ埓があかないから、きょうは芝居を休んで掛け合いに来たのだ。もうこうなりゃあ出るところへ出て、拐引《かどわかし》の訴えをするから、そう思うがいい」
「どうとも勝手にするがいいのさ。白い黒いはお上《かみ》で決めて下さるだろう」
「知れたことさ。そのときに泣きっ面をしないがいい。さあ、もう行こうよ」
小三は弟子たちをみかえって表へ出ると、半七はふた足三足追いかけて呼び留めた。
「おい、師匠。待ってくんねえ」
六
「長くなるから、ここらでお仕舞いにしましょうかね」と、半七老人は云った。
これが老人のいつもの手で、聴く者を焦《じ》らすかのように、折角の話を中途で打ち切ってしまうのである。その手に乗ってはたまらないと、わたしは続けて訊いた。
「まだ半分で、なにも判りませんよ」
「判りませんか」
「判りませんよ。一体それからどうなったんです」
「小三は自分の弟子を隠された口惜《くや》しまぎれに、何もかも話しました。それを聞くと、常磐津文字吉という師匠は不思議な女で、酒屋の亭主を旦那にしているが、ほかに男の弟子は取らないで、女の弟子ばかり取る、それには訳のあることで、本人は女のくせに女をだますのが上手。ただ口先でだますのでは無く、相手の女に関係をつけて本当の情婦《いろ》にしてしまうのです。こんにちではなんと云うか知りませんが、昔はそういう女を『男女《おめ》』とか『男女さん』とか云っていました。もちろん、滅多にあるものじゃあありませんが、たまにはそういう変り者があって、時々に問題を起こすことがあります。文字吉は浄瑠璃が上手というのでも無いのに、女の弟子ばかり来る。殊に囲い者や後家さん達がわざわざ遠方から来るというのを聞いて、わたくしは少し変に思って、もしやと疑っていたら
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