して次の一幕を見物した。次は楼門の場である。
この場には和藤内の父母と、和藤内と錦祥女《きんしょうじょ》と、唐人と唐女が出る。錦祥女は小三の弟子の小三津《こみつ》というのが勤めていた。舞台顔で本当の年を測《はか》るのはむずかしいが、小三津はせいぜい二十四五であるらしく、眼鼻立ちの整った細面《ほそおもて》で、ここらの芝居の錦祥女には好過ぎるくらいの容貌《きりょう》であった。木戸銭十六文の宮芝居であるから、鬘《かつら》も衣裳も惨《みじ》めなほどに粗末であるのを、半七は可哀そうに思った。
虎狩の場に出る虎もなかなかよく動いた。虎にしては胴体が小さく、なんだか犬のようにも見えたが、身軽に飛び廻って、二、三度も宙返りを打ったりして、大いに観客を喜ばせていた。女役者にこんな芸の出来る筈はない。虎は男が縫いぐるみを被《かぶ》っているに相違ないと、半七は鑑定した。
三
鳳閣寺の境内を出て、半七は更に久保町へむかった。ここらにも町名主《ちょうなぬし》の玄関はある。半七はその玄関をおとずれて町《ちょう》役人に逢い、かの片腕の一件についてひと通りのことを訊《き》きただしたが、庄太の報告以外に新らしい発見もなかった。唯ここで少しく意外に感じたのは、疑問の唐人飴屋がきのうも平気でここへ姿をあらわしたという事であった。しかも其の両手は満足に揃っているというのである。
「あの飴屋は毎日いつごろ廻って来ます」と、半七は訊いた。
「大抵八ツ(午後二時)頃です」
八ツまではまだ半ときほどの間《ひま》がある。そのあいだに遅い午飯《ひるめし》を食うことにしたが、ここらの勝手をよく知らない半七は、迂濶《うかつ》なところへ飛び込むのは気味が悪いと思って、当座の腹ふさぎに近所の蕎麦屋へはいると、ほかに一人の客もなかった、注文の蕎麦の出来るのを待つあいだ、煙草を吸いながら見まわすと、くすぶった壁には彼《か》の坂東小三の芝居のビラが掛けてあった。
店は狭いので、釜前に立ち働いている亭主はすぐ眼のさきにいる。半七はビラを見返りながら亭主に声をかけた。
「小三の芝居はなかなか景気がいいね」
「ご見物になりましたか」と、亭主は云った。
「実は今、二幕ばかり覗いて来たのだが、宮芝居でも馬鹿にゃあ出来ねえ。みんな相当に腕達者だ」
土地の芝居を褒められて、亭主も悪い心持はしないらしく、にこにこしながら答えた。
「どうでお江戸の方々の御覧になるような物じゃあござんすまいが、相当によくすると皆さんが云っておいでですよ。あれでも此処らじゃあなかなかの評判です」
「そうだろうな。錦祥女をしている小三津というのは綺麗だね」
「ええ、小三津は年も若いし、容貌《きりょう》もいいので、人気者ですよ」
蕎麦を食いながら亭主の話を聞くと、座頭の小三はもう三十七八である。小三津はその弟子で、まだ二十二三である。小三津は今度の錦祥女も評判がいいが、この前の「鎌倉三代記」の時姫もよかった。そんなわけで、小三津はこの一座の花形であるが、なぜか此の頃は師匠の機嫌を悪くして、このあいだも楽屋でひどく叱られた。小三津は泣いて退座すると云い出したが、花形役者に退《の》かれては興行にさわるので、ほかの人々が仲裁して無事に納めた。
「なんと云っても女同士の寄合いですから、いろいろうるさいと見えますよ」と、亭主は云った。
「小三津はなんで師匠に叱られた。舞台の出来が悪かったのか、それとも色男でもこしらえたか」と、半七は笑いながら訊いた。
「小三津は堅い女で、これまで浮いた噂も無し、今でもそんなことは無いらしいというのですが……」と、亭主は首をかしげながら云った。「それですから幾らか給金も溜めているし、着物なぞも相当に拵《こしら》えていたのだそうですが、それをどうしてかみんな無くしてしまったのを、師匠に見付けられて叱られたのだとかいう噂です。どうしたのですかね」
「博奕《ばくち》でも打つかな」
「まあ、そんなことかも知れません。その連中には女でも手慰《てなぐさ》みをする者がありますからね。地道《じみち》なことで無くしたのなら、師匠もそんなに叱る筈はありません。なにか悪いことをしたのでしょうね」
「むむ」と、半七は蕎麦の代りをあつらえながら又訊いた。
「今見たら、木戸前に小三津の新しい幟が立っている。呉れた人は常磐津文字吉とある。小三津は文字吉に何か係り合いがあるのかね」
「文字吉は実相寺門前の師匠ですが、小三津をたいへん贔屓《ひいき》にして、楽屋へ遣《つか》い物をしたり幟をやったり、近くの料理屋へ呼んだりしたので、小三津の方でも喜んで、このごろでは師匠の家《うち》へもちょいちょい出這入りをしているようです」
「それで叱られたわけでもあるめえ」
「勿論それは別の話で……」と、亭主は笑っていた。「芸人同士、
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