。これには全く閉口です」
「今でも華族の家庭の事なぞは調べにくいのですから、昔は猶更そうでしたろうね」
「見す見す武家の屋敷内に大きい賭場が開けているのを知っていても、町方の者が踏み込むことの出来ない時代ですから、大きい旗本屋敷に関係の事件なぞは、自由に手も足も出ません。それでも何とかしなけりゃあならないから、出来るだけは働きましたよ。まあ、お聴き下さい」

     二

 文久元年二月なかばの曇った朝である。浅井一家の人々がこの世の名残《なごり》に眺めた砂村の下屋敷の梅も、きのうきょうは大かた散り尽くしたであろう、春の彼岸を眼のまえに控えて、なま暖い風が吹き出した。
 八丁堀同心、拝郷弥兵衛の屋敷の小座敷で、主人の拝郷と半七とが額《ひたい》をあつめるように摺り寄ってささやいていた。
「いいか、牛込水道|町《ちょう》の堀田庄五郎、二千三百石、これは浅井因幡守の叔父だ。それから京橋南飯田|町《まち》の須藤民之助、八百石、これは因幡の弟で、須藤の屋敷へ養子に貰われて行ったのだ。ほかに親類縁者も相当にあるが、堀田と須藤、この二軒が近しい親類になっているので、それから町方へ内密の探索を頼んで
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