れで評判が悪くちゃあ仕方がありません。今度の光秀だけは是非一度見て置くことですよ」
老人の芝居好きは今始まったことではない。わたしのような若い者がこの老人に嫌われないのも、こいつは芝居好きで少しは話せるというのが一つの原因になっているらしい。したがって老人と向かい合った場合、芝居話のお相手をするのは覚悟の上であるから、わたしも一緒になって頻りに歌舞伎座の噂をしていると、老人は又こんなことを云い出した。
「今度の木挽町には訥升《とつしょう》が出ますよ。助高屋高助のせがれで以前は源平と云っていましたが、大阪から帰って来て、光秀の妹と矢口渡《やぐちのわたし》のお舟を勤めています。三、四年見ないうちに、すっかり大人びて、矢口のお舟なぞはなかなかよくしていました。いや、矢口と云えば、あの神霊矢口渡という芝居にあるようなことは勿論嘘でしょうが、矢口渡の船頭が足利方にたのまれて、渡し舟の底をくり抜いて、新田《にった》義興《よしおき》の主従を川へ沈めたというのは本当なんでしょうね」
「そりゃあ本当でしょう。太平記にも出ていますから……」
「子供の話にある、カチカチ山の狸の土舟《つちぶね》というわけで
前へ
次へ
全50ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング