のと諦めて居りましたのに、それが不意に出て来まして、しかもここの河岸であんな事を仕出来《しでか》しまして……。なんだか夢のようでございます」
「まったく悪い夢だ。実はおれも可怪《おか》しな夢を見たよ」と、半七は笑った。
「へえ」
「その夢を話して聞かそうか」
「へえ」
なにを云うのかと、清吉は相手の顔をながめていると、半七はやはり笑いながら話しつづけた。
「なにしろ夢の話だから、辻褄《つじつま》は合わねえかも知れねえ。まあ、聴いてくれ。ここに大きい屋敷があって、本妻の奥さまとお部屋のお妾がある。奥さまも良い人で、お妾も良い人だ。これじゃあ御家騒動のおこりそうな筈がねえ。ところが、ここに一つ困ったことは、その奥さまの腹に生まれた嫡子の若殿さまというのが素晴らしい美男だ。どこでもいい男には女難がある。奥さまにお付きの女中がその若殿さまに惚れてしまった。昔から云う通り、恋に上下の隔てはねえ。女は夢中になって若殿さまにこすり[#「こすり」に傍点]付いて、とうとう出来合ってしまったという訳だ。どうで本妻になれる筈はねえが、こうなった以上、せめてはお部屋さまにでもなって、若殿さまのそばを一生離れまいという……。こりゃあ無理もねえことだが、さてそれがむずかしい。勿論お妾だから、身分の詮議は要らねえようなものだが、女は男よりも年上で、おまけになかなかのしっかり[#「しっかり」に傍点]者で、まかり間違えば御家騒動でも起こしそうな代物《しろもの》だ。そんな女を若殿さまに押し付けて善いか悪いか。こうなると、ちっと事面倒になるじゃあねえか。ねえ、そうだろう」
云いかけて清吉の眼色を窺うと、彼はそれを避けるように眼を伏せた。年の割には白髪《しらが》の多い小鬢のおくれ毛が、薄暗い行燈のひかりの前にふるえていた。
「燈台|下《もと》暗しという譬えもある。まして大きい屋敷内だから、若殿さまと女中との一件を誰もまだ感付いた者がねえ。殿さまも奥さまも御存じ無しだ。ところが、悪いことは出来ねえもので、それをどうしてか若けえお嬢さまに見付けられた。すると、このお嬢さまが又、生みの親の奥さまよりも不思議にお妾の方に狎《なつ》いていたので、それをそっとお妾に教えたのだ。お妾もすぐにそれを奥さまか用人にでも耳打ちして、なんとか取り計らえばよかったのだが、自分ひとりの胸に納めて置いて、誰にも知らさずに穏便に済まそうと考えた。お妾はもちろん悪意じゃあねえ、若殿さまに瑕を付けめえという忠義の料簡から出たことだが、その忠義が仇《あだ》となって飛んだことになってしまった。というのが、去年の暮れに、お妾は自分の親もとへ歳暮《せいぼ》の礼に行った。その時にかの女中を供に連れて出て、こっそりと意見をした。若殿さまのことは思い切って、来年の三月の出代りには無事にお暇を頂いて宿へ下がってくれ、と因果を含めて頼むように云い聞かせた。それも屋敷の為、当人たちの為を思ったことだが、女中の方はもう眼が眩《くら》んでいるから、そんな意見は耳にはいらねえばかりか、却って其の人を恨むようにもなった。お妾が余計な忠義立てをして、無理に自分たちの仲を裂くのだと一途《いちず》に思い込んで……。おい、清吉。おれの夢はここらで醒めたのだが、その先はおめえがよく知っている筈だ。今度はおめえの夢の話を聞かせて貰おうじゃあねえか。おめえの話も長そうだ。おれは一服吸いながら聞くぜ」
半七は腰から筒ざしの煙草入れを取り出して、しずかに煙草を吸いつけると、清吉はやがて崩れるように両手をついて平伏した。
「親分、恐れ入りました。ひとりの姪が可愛いばっかりに……。お察しください」
「それはおれも察している。おめえが悪い人間でねえことは世間の評判で知っている。それにしても、仕事があんまり暴《あら》っぽいぜ。いくらおめえ達の商売でも、カチカチ山の狸の土舟のようなことをして、殿さまを始め大勢の人を沈めて……」
「仰しゃられるまでも無く、わたくしも今では後悔して居ります。どうしてあんな大胆なことをしたかと、我れながら恐ろしい位でございます。たった一人の姪が泣いて頼みますので……。ふいと魔がさして飛んでもない心得違いを致しまして……。なんとも申し訳がございません」
汗か涙か、清吉の蒼い顔は一面に湿《ぬ》れていた。
六
「なかなか入り組んだ話ですね」と、私はここまで聞かされてひと息ついた。
「さあ、入り組んでいるようですが、筋は真っ直ぐです」と、半七老人は笑った。「ここまでお話しすれば、あなた方にも大抵お判りでしょう」
「まだ判らないことがたくさんありますよ。これまでのお話によると、そのお信という女が自分の恋の邪魔になるお早という妾を殺そうとして、叔父の清吉を口説《くど》いて船底に機関《からくり》を仕掛けたというわけです
前へ
次へ
全13ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング