の少し腐れかかっている所を、むしったように毀《こわ》して置いて、いい加減に埋め木でもして置いたのでしょう」
「そんなことは素人に出来る筈がねえ。千太の野郎がやったのかな。浅井の人たちを砂村へ送りつけて、その帰るのを待っているあいだに、千太が何か仕事をしたのだろう。それで野郎、逃亡《ふけ》たのだな」
気のせいか、船は亡骸《なきがら》のように横たわっている。その船の中へ潜《もぐ》り込んで、半七は隅々までひと通りあらためると、果たして金八の云う通りであった。調べの役人らが出張った以上、これが判らない筈はない。おそらく事件を内分に済ませるために、浅井の屋敷から手をまわして、役人らをうまく抱き込んで、船底の破損ということに片付けてしまったのであろうと、半七は想像した。それは此の時代にしばしばある習いで、さのみ珍らしいとも思われなかったが、ここに一つの不審がある。事件を秘密に葬るつもりならば、浅井の奥さまや親類たちが町方へ手をまわして、事件の真相を突き留めてくれと云うのが理窟に合わない。一方に秘密主義を取りながら、一方には藪を叩いて蛇を出すようなことをするのはどういうわけかと、半七は又かんがえた。
或いは屋敷内や親類じゅうの議論が二つに分かれているのではないか。一方は家名を傷つけるのを憚《はばか》って、何事も秘密に葬るがよいと云い、一方は飽くまでも其の正体を確かめて、その罪人を探し出すがよいと云う。要するに、何事もお家《いえ》には換えられぬという弱気筋と、たとい家をほろぼしても屹《きっ》と善悪邪正を糺《ただ》せという強気筋とが二派に分かれて、こういう結果を生み出したのでは無いか。いずれにもせよ、自分は役目として、探るだけのことは探らなければならないと、半七は思った。
「おかみさんは留守、親方は寝ているというのを無理に引き摺り起こすのもよくねえ。きょうはこれで帰るとしよう」
半七は岸へあがって金八に別れた。
「親分。傘を持って行きませんか。なんだかぼろ[#「ぼろ」に傍点]付いてきましたぜ」
「おめえのうちの傘には印《しるし》が付いているだろうから、何かの邪魔だ。まあ、たいしたこともあるめえ。このまま行こう」
なま暖い風は湿《しめ》りを帯びて、軒の柳に細かい雨がはらはら[#「はらはら」に傍点]と降っかけて来た。半七は手拭をかぶって歩き出した。
三
浅井因幡守の屋敷は本願寺のわきで、南小田原町から眼と鼻の間にあるので、半七はすぐにその屋敷へゆき着いた。雨はだんだんに強くなって来たので、彼は雨宿りをするようなふうをして、隣り屋敷の門前に立った。
船底の機関《からくり》は千太の仕業らしいが、千太自身がそんなことを企らむ筈がない、恐らく誰かに頼まれたのであろう。千太を探し出して引っぱたけば、泥を吐かせてしまうのであるが、どこに隠れているか容易に判りそうもない。妾のお早に子供でもあればお家騒動とも思われるが、お早に子供は無い。本妻には男と女の子がある。しかもみんないい人であると云う。それではお家騒動が芽をふきそうもない。
そんな事をいろいろ考えながら、半七は半時ほども其処に立ち暮らしたが、浅井の屋敷からは犬の児一匹も出て来なかった。そのうちに雨はますます降りしきるので、半七もさすがに根負《こんま》けがして、丁度通りかかった空《から》駕籠をよび留めて、ひとまず神田の家へ帰った。
日が暮れると、子分の幸次郎が来た。
「とうとう降り出しました」
「ことしはどうも降り年らしい。きょうも降られて、中途で帰って来た」
「どこへ行きました」
「築地へ廻った」
きょうの一件を聞かされて、幸次郎は熱心に耳を傾けていた。
「親分。その一件なら、わっしも少し聞き込んだことがあります。御承知の通り、あの辺には屋敷が多いので、わっしも大部屋の奴らを相当に知っていますが、この間からいろいろの噂を聞いていますが、噂という奴はどうも取り留めのないもので……。だが、親分。ここに一つ面白いことがあります。こりゃあ聞き捨てにならねえと思うのですが……」
「聞き捨てにならねえ……。どんなことだ」
「あの一件の当日、主人の因幡という人は陸《おか》を帰る筈だったそうです。こういうことになるせいか、因幡という人は船が嫌いで、いつも砂村へ行く時には、片道は船、片道は陸と決まっているので、当日も船で行って、陸を帰るという筈だったのを、どういう都合か、帰りも船ということになって、あんな災難に出逢った……。運が悪いと云えば、まあそれ迄のことですが、何か又そこに理窟がないとも云えませんね。陸を帰れば無事に済んだものを、その日にかぎって船に乗って、その日に限って船が沈む……」
「むむ。運が悪いというほかに、なにかの仔細が無いとも云えねえな」
「それだから、わっしの鑑定はまあこう
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