た。
「出這入りをする処か、坂井屋へは黒船の異人が大勢あつまって来て金《かね》ビラを切るので、お此は商売をそっちのけにして、この頃は毎日のように這入り込んでいるそうです」と、熊蔵は答えた。
「そうすると、お糸とも懇意だろう」と、半七は云った。「お糸の駈け落ちにもお此が係り合っているのじゃあねえか」
「そうかも知れません。ともかくもお此を挙げてしまいましょうか」
「熊谷の旦那からもお指図があったのだ。女ひとりに大勢が出張るほどの事もあるめえが、もし仕損じて高飛びでもされると、旦那のお目玉だ。おれも一緒に行くとしよう」
きょうも幸いに晴れていた。三人は揃って神田の家を出た。
五
三人が品川の宿《しゅく》へはいると、往来で三十前後の男に逢った。それが女郎屋の妓夫《ぎゆう》であることは一見して知られた。彼は熊蔵に挨拶した。
「きょうもお出かけですか」
「むむ。親分も一緒だ」と、熊蔵は云った。
親分と聞いて、彼は俄かに形をあらためて半七に会釈《えしゃく》した。熊蔵の紹介によると、彼はここの不二屋に勤めている権七というもので、お此が浜川に住んでいることは彼の口から洩らされたのである。半七も会釈した。
「おめえはいいことを教えてくれたそうだ。まあ、何分たのむぜ」
「いっこうお役に立ちませんで……」と、権七は再び頭を下げた。「お此はさっきここを通りましたよ。江戸辺へ行ったのでしょう」
「そうか」
半七は少し失望した。お此はきょうも江戸辺へ仕事に行ったのかも知れない。さりとて、今更むなしく引っ返すわけにも行かないので、権七に別れて三人は浜川へむかった。
「お此が留守じゃあ困りましたね」と、熊蔵はあるきながら云った。
「まあ、いい。おれに考えがある」と、半七は答えた。「建具屋の伊之助というのは何処だ。案内してくれ」
「ようがす」
松吉は先に立ってゆくと、かの丸子の店から遠くないところに小さい建具屋が見いだされた。松吉の説明によると、親父の和助は中気のような工合《ぐあい》でぶらぶらしているので、店の仕事は伜の伊之助と小僧ひとりが引き受けているというのである。勿論、貸家|普請《ぶしん》の建具ぐらいの仕事が精々と思われるような店付きであった。表から覗くと、伊之助は小僧を相手に、安物の格子戸を削っていた。松吉は声をかけた。
「おい、伊之。親分がおめえに用がある。三河町の
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