らでもいいから持って行ってくれと云う。その売りぬしは三十二三の婀娜《あだ》っぽい女であった。
 ともかくも其の鶏を見せてくれと云うと、女は裏へまわれと云う。そこには空地同様の小さい庭があって、二羽の鶏が籠に伏せてあった。女はもう姿を見せないで、二十五六の男が薪《まき》ざっぽうを持って出て来た。彼は八蔵にむかって、この鶏はいっそ打《ぶ》ち殺してしまおうと思うのだが、おかみさんがぐずぐず云うから持って行ってくれと暴々《あらあら》しく云った。いい加減な値をつけて引き取ることにすると、二羽の鶏はしきりに暴《あ》れ狂って、八蔵の籠に移されるのを拒《こば》むので、男も手伝って無理に押し込んだ。男は薪ざっぽうを放さずに掴んで、絶えず何事をか警戒しているように見えた。
 八蔵はその足で大森へまわって、かの茶屋へ二羽の鶏を売ったが、その時には皆おとなしく翼《つばさ》を収めて、前のように暴れ狂うことは無かった。右から左に鶏を処分して、八蔵は相当の利益を得て帰った。雌鶏はその時から少し弱っているようであったが、ふた月ほどの後に死んだという話を聞いた。
「まあ、そういうわけなんです」と、庄太はひと通りの報告を終った。「八蔵の話の様子じゃあ、あの鶏はお六の家にいる時から、なにか暴《あ》れていたらしいようですから、大森の時も恐らくお六と知って飛びかかったのでしょう。そこでお六の家《うち》の番頭という奴を、きょうは確かに見とどけて来ましたが、小作りの苦味走った男で、顔に見覚えはありませんが、これも唯の町人らしくない奴です。と云って、遊び人にしちゃあ野暮に出来ているし、まあ、屋敷の大部屋にでも転がっていたような奴ですね」
「折助《おりすけ》か」と、半七はうなずいた。「折助なんぞは軍鶏屋のお客だ。まんざら縁のねえこともねえ。これでどうにか白と黒の石が揃ったようだ。まあ、おめえの五目《ごもく》ならべをやってみろ」
「わっしの列べ方じゃあ、鳥亀の女房が店の客の折助と出来合って、亭主の釣り好きを幸いに、暗いうちから下矢切へ鮒釣りに出してやる。折助は先廻りをして、芦の間か柳の蔭にでも隠れていて、不意に亭主を突き落とす……。と、まあ、云ったような段取りでしょうね。土地にいちゃあ面倒だから、浅草の店をしめて品川へ引っ越して、桂庵に商売換えをして、その折助が番頭実は亭主になって一緒に暮らしている。そこで、例の鶏の一件だが……。店を仕舞うときにみんな売ってしまいそうなものだが、何かの都合でひと番《つが》いだけ品川まで持って行くと、こいつが変に暴れたりする。二人はなんだか気が咎めて、薄っ気味が悪いような気もするので、ぶち殺すか売り飛ばすか二つに一つということになって、それが八蔵の手を渡って、大森の茶屋に売られて行った。どうでしょう。違いますか」
「誰の眼も違わねえ。まずそこらだろうな。いくら商売でも忌《いや》になるぜ」と、半七は溜め息をついた。「その通りであって見ろ、女も男も重罪で、引き廻しの上に磔刑《はりつけ》だ。それを知りながら科人《とがにん》の種は尽きねえ。どうも困ったものだ。といって、こうなったら打っちゃっても置かれねえ。松吉と手分けをして詮議にかかれ。おめえは浅草の方を受け持って、鳥亀の亭主はどんな人間だったか、女房はどんな事をしていたか、昔のことを洗ってみろ。鳥亀にも何か親類があるだろう。店の奉公人もあった筈だ。そんなのを詮議したら、大抵の見当は付くだろう。松には品川の方を受け持たせて、男の身許《みもと》を洗わせて見よう」
「ようござんす。浅草の方は引き受けました」
「毎日の遠出《とおで》でくたびれただろうが、これも御用で仕方がねえ。早く家《うち》へ帰って、かみさんを相手に寝酒の一杯も飲め」
 幾らかの小遣いを貰って、庄太はにこにこして帰った。
 それから三日の後、正月二十七日の午後である。品川の方を受け持ちの子分松吉が帰って来て、こんなことを半七に報告した。
「鈴ヶ森の仕置き場のそばで死骸が見付かりました」
「男か、女か」
「二十一二の若い男で、色白の小綺麗な、旗本屋敷の若侍とでも云いそうな風体《ふうてい》で、匕首《あいくち》か何かで突かれたらしい疵《きず》が四カ所……。首に手拭が巻き付けてあるのを見ると、初めに咽喉《のど》を絞めようとして、それを仕損じて今度は刃物でやったらしいのです。大小は誰か持って行ったらしく、本人は丸腰で、そこらにも落ちていませんでした。死骸は海へでも投げ込むつもりで、浪打ちぎわまで引き摺って行ったらしいが、人が来たのでそのままにして逃げたと見えます。懐中物はなんにも無いので、ちっとも手がかりになりそうな物はありません」
「その死骸はけさ見つけたのか」
「そうです。多分ゆうべのうちにやったのでしょうね。検視の済むのを見とどけて、わっしは急いで帰って来たのですが、どうしましょう」
「鈴ヶ森じゃあ町方《まちかた》の係り合いじゃあねえが、いずれ頼んで来るだろう。殊に屋敷者だから、まあひと通りは調べて置くがいいな」と、云いかけて半七は思い出したように云った。「それから、品川の桂庵の一件だが、亭主の身許《みもと》はまだ判らねえか」
「なんでも湯島《ゆしま》か池《いけ》の端《はた》あたりに中間奉公をしていたらしいのですが、どこの屋敷かまだ突き留められません。なにしろあの辺には屋敷が多いので……。まあ、そのうちに何とかしますから、もう少し待って下さい」
「鈴ヶ森の人殺しは、ひょっとすると鳥亀の一件にからんでいるかも知れねえな」
「なぜです」と、松吉は不思議そうに訊《き》いた。
「なぜと訊かれちゃあ返事に困るが、多年この商売をしていると、自然に胸に浮かぶことがある。まあ、虫が知らせるとでもいうのかも知れねえが、それが又、奇妙にあたることがあるものだ。今度の一件も何だかそんな気がしてならねえ」
「もしそうならば、いよいよ事が大きくなりますね。なにしろ鈴ヶ森の方を調べてみましょう。案外の手がかりがあるかも知れません」

     四

 あくる日の朝、半七は八丁堀同心坂部治助の屋敷へ呼ばれた。すぐに行ってみると、それは彼《か》の鈴ヶ森の一件で、変死人は市内の屋敷者らしいから、町方の方でその身もとを詮議して貰いたいと郡代《ぐんだい》からの依頼があった。下手人《げしゅにん》も分明次第に召し捕ってくれというのである。
「そういう訳だから、なんとか埒を明けてくれ」と、坂部は云った。
「かしこまりました。わたくしにも少し心あたりがありますから、早速取りかかります」
 こうなると子分任せにもして置かれないので、半七はその足で品川へ出向いた。
 このあいだの大雪以来、もう十日あまりの天気がつづいたので、大通りのぬかるみも大かたは踏み固められた。この頃の寒い風もきょうは忘れたように吹きやんで、いわゆる梅見|日和《びより》の空はうららかに晴れていた。高輪の海辺《うみべ》をぶらぶらあるいて行くと、摺れ違う牛の角《つの》にも春の日がきらきらと光って、客を呼ぶ茶屋女の声もひとしお春めいてきこえた。品川の北から南へ通りぬけて、宿《しゅく》のはずれへ来かかると、ここらには寺が多い。その門内には梅でも咲いているのであろう、ところどころで鶯の声がきこえて、無風流の半七もときどきに足を止めた。
 目あての桂庵は海保寺の門前にあって、入口にむさし屋という暖簾《のれん》が懸かっていた。近所で訊くと、おかみさんは三十三の厄年で川崎の初大師へ参詣に行って、その帰り道で暴れ馬に蹴られて、駕籠に乗って帰って来たが、それから熱が出たので今も寝ているという噂であった。お六は鶏に襲われたことを秘《かく》して、馬に蹴られたと云っているらしい。鶏というのを憚っているのは、そこに何かの仔細が無ければならないと、半七の疑いはいよいよ深められた。彼は思い切って、むさし屋の暖簾をくぐってはいると、手引きらしい四十前後の女が店さきに腰をかけていた。
「ごめんなさい」と、半七は会釈《えしゃく》した。「おかみさんは内ですかえ」
「おかみさんは二階に寝ていますよ」と、女も会釈しながら答えた。「七日ほど前に怪我をしましてね」
「番頭さんは……」
「番頭さん……。勇さんですか」
「ええ、勇さんです」
「勇さんは二、三日留守ですよ」
「どこへ行ったのです」
「さあ、わたしもよく知りませんが、金さんのところへでも行っているのじゃありませんか」
「金さんの家《うち》はどこでしたね」
「金さんの家は……。なんでも鮫洲《さめず》を出はずれて右の方へはいった畑のなかに、古い家が二軒ある。一軒は空家《あきや》で、その隣りが金さんの家だそうですよ」
「いや、ありがとう。おかみさんをお大事に……」
 半七はそこを出て、更に近所で訊いてみると、むさし屋に出入りする金さんは金造といって、この品川の宿をごろ[#「ごろ」に傍点]付き歩いて、女郎屋の妓夫《ぎゆう》などを相手に、小博奕などを打っている男であることが判った。それを友達にしている勇さんの正体も大抵想像された。
「ともかくも鮫洲へ行ってみよう」
 半七は浜川の方にむかって、東海道をたどって行くと、涙橋のたもとで松吉に逢った。
「やあ、お出かけでしたか」と、松吉は寄って来てささやいた。「実は少し聞き込んだことがあるのですがね。品川の宿の入口に駕籠屋がある。あすこの奴らの話じゃあ、おとといの晩ひとりの若い侍が来て、桂庵のむさし屋はどこだと聞いて行ったそうで……。その侍の年頃や人相が鈴ヶ森の死骸にそっくりですから、やっぱり親分の鑑定通り、鈴ヶ森の一件は鳥亀の奴らに何かの引っかかりがあるに相違ありません。むさし屋の番頭だか亭主だか知らねえが、お六と一緒に暮らしている奴は勇二といって、土地の遊び人なんぞとも附き合っているそうですから、何をするか判りませんよ」
「その勇二は二、三日前から帰らねえと云うじゃあねえか」
「二十六日の晩から家《うち》へ帰らねえそうです」
「鮫洲の金造という奴の家へ行っているという話だから、これからともかくも行ってみようと思っているのだ」
「鮫洲の金造……。あいつならわっしも知っています。現にきのうも品川で逢いましたよ。生薬屋《きぐすりや》の店で何か買っていました」
「金造はどんな奴だ」
「なに、けち[#「けち」に傍点]な野郎ですよ」
 半七は立ちどまって考えていた。
「おい、松。御苦労だが、品川へ引っ返して、その生薬屋で金造が何を買ったか調べて来てくれ。風薬《かざぐすり》の葛根湯《かっこんとう》ぐらいならいいが、疵《きず》薬でも買やあしねえか」
「ようがす。すぐに調べて来ます」
「往来に立ってもいられねえ。そこの団子茶屋に休んでいるぜ」
 橋のたもとの茶店にはいって暫く待っていると、やがて松吉が急ぎ足で帰って来た。
「親分。案の通り、金造は切疵《きりきず》のくすりを買って行きました。金創《きんそう》いっさいの妙薬という煉薬《ねりぐすり》だそうで……」
 勇二は金造の家にかくれて疵養生をしているのであろうと、半七は推量した。鈴ヶ森で侍を殺した時に、彼も手疵を負ったらしい。自分の家へ帰って療治をすると、秘密露顕の虞れがあるので、金造に頼んで薬を買わせにやったのであろう。どんな様子か実地を見とどけて、怪しい節《ふし》があればすぐに引き挙げてもいいと決心して、松吉にもそっとささやくと、彼も同意して親分のあとに続いた。
 街道から右へ切れると、そこらには田畑が多かった。細い田川も流れていた。その田川で小鮒でもあさっているらしい子供に教えられて、金造の家はすぐに知れた。むさし屋の女の云った通り、近所に遠い畑のなかに二軒の藁葺き屋根が隣り合っていて、外には型ばかりの低い垣根が結いまわしてあった。軒は朽ち、柱は傾いて、どっちが空家か判らないほどに荒れているので、二人は垣根の外に忍び寄って、右と左の家をうかがっていると、左の家のなかで忽ちにわっ[#「わっ」に傍点]という男の悲鳴がきこえた。
 二人ははっ[#「はっ」に傍点]と顔を見あわせると、破れ障子を蹴倒して一人の男がころげ出した。彼は
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