「時々に参ります。なんでも百姓の片手間に鶏を買ったり売ったりしているのだそうで……」
「名はなんといって、どこから来るのだね」
「名は……八さんといっていますが、八蔵か八助か判りません。なんでも矢口《やぐち》の方から来るのだそうで……」
「矢口か。矢口の渡しなら六蔵でありそうなものだが……」と、庄太は笑った。
「まぜっ返すなよ」と、半七は横目で睨んだ。「そこで、その八蔵とか八助とかいう男は幾つぐらいだね」
「二十五六だろうと思いますが……。なにしろ一年に一度か二度しか廻って参りませんので……」と、女房は言葉をにごした。
こちらが余りに詮索するので、相手は一種の不安を感じて来たらしい。こうなっては詮議も無駄だと諦めて、半七は帰り支度にかかった。
「奥の怪我人には挨拶をせずに帰るから、あとで宜しく云っておくんなさい」
「かしこまりました」
勘定を払って、二人はここを出た。
「親分は頻りに鶏の売り主を詮議していなすったが、なにか眼を着けた事でもあるんですかえ」と、庄太はあるきながら訊いた。
「別にどうということもねえが……。今の一件で、おれがふい[#「ふい」に傍点]と考えたのは、あの鶏と、あの女と……なにか因縁があるのじゃあねえかしら……」
「ふむう。そんな事もねえとも云えねえが……」と、庄太は首をかしげた。「しかし相手が畜生ですからねえ」
「畜生だからたれかれの見さかいなしに飛びかかった……。そう云ってしまえば仔細はねえが、畜生だって相当の料簡がねえとは云えねえ。主人を救った犬もある。恨みのある奴を突き殺した牛もある。あの鶏もあの女に何かの恨みがあるのかと、考えられねえ事もねえと思うが……」
「成程、そう云えばそうだが……。あの女の風体《ふうてい》が……」と、庄太は又かんがえた。「鶏に縁がありそうにも見えねえが……。鳥屋の女房かね」
「まあ、そんなことかも知れねえ。なにしろ、あの女は堅気の人間じゃあなさそうだ。どうも何処かで見たことがあるように思われるのだが……。きょうは仕方がねえから此のまま引き揚げることにして、おめえ御苦労でもあしたか明後日《あさって》、もう一度出直して来て、あの女はそれからどうしたかと訊きただしてくれ。もちろんどっ[#「どっ」に傍点]と倒れてしまうほどの怪我じゃあねえから、医者にひと通りの手当てをして貰って、駕籠で江戸へ帰るに相違あるめえ。ああして厄介になった以上、自分の家《うち》は本所だとか浅草だとか話して行くだろうから、それもよく調べて来てくれ。恨みや因縁にもいろいろある。あの女があの鶏をひどい目に逢わせて、それを鳥屋へ売り飛ばしたのが、測《はか》らずここでめぐり合って、鶏がむかしの恨みを返したというような事ででもあれば、飛んだ猿蟹合戦か舌切り雀で、どうにも仕様のねえことだが、何かもう少し入り組んだ仔細がありそうにも思われる。まあ、無駄と思って洗ってみようぜ」
「承知しました」
「それから、あの女房は鶏を絞めると云っていたが、もしまだ無事でいるようだったら、もう少し助けて置くように云ってくれ」
この頃の春の日はまだ短いので、二人は暗くなってから江戸へはいった。途中で庄太に別れて、半七は三河町の家へ帰ると、すぐに手拭をさげて出た。
「信心まいりに行って、愚痴を云っちゃあ済まねえが、きょうは全く寒かった」
近所の銭湯へゆくと、五ツ(午後八時)過ぎの夜の湯は混雑していた。半七は柘榴口《ざくろぐち》へはいって体を湿《しめ》していると、湯気にとざされていた風呂のなかで、男同士の話し声がきこえた。
その一人もきょうの初大師に参詣したと見えて、寒さと雪どけ道の難儀を頻りに話していたが、やがて彼はこんなことを云い出した。
「おまえさんも御承知でしょう、軍鶏屋《しゃもや》の鳥亀のかみ[#「かみ」に傍点]さん……。あの人に逢いましたよ」
「ああ、あのお六さん……」と、相手は答えた。「今はどこにいますね」
「なんでも品川の方にいるそうで……。わたし達が川崎の新田屋で午飯《ひるめし》を食って、表へ出ようとするところへ、出逢いがしらにはいって来たので、ちっとばかり立ち話をして別れたのですが……。都合が悪くも無さそうな様子で、まあ無事にやっているようですよ」
それが半七の注意をひいた。薄暗いなかでよくは判らないが、その話し声が近所の下駄屋の亭主であるらしいので、流し場へ出たときに窺うと、果たして彼は下駄屋の善吉であった。
あくる朝、半七は下駄屋の店さきに立った。
「おまえさんも大師さまへ参詣しなすったそうだね。ひと足おくれで逢わなかったが……」
「親分も御参詣でしたか」と、善吉は店の火鉢を半七の前へ押しやりながら云った。「ずいぶんお寒うござんしたね」
「そこで、早速だが少し訊《き》きたいことがある」と、半七は店に腰をかけた。「ゆうべはお前さんは、鳥亀とかいう軍鶏屋の話をしなすっていたね」
「じゃあ、お前さんも聴いておいでなすったのですか」
「柘榴口のなかで聴いていましたよ。一体その軍鶏屋は何処ですえ」
「以前は浅草の吾妻橋ぎわにあったのですが、亭主が死んだので店を仕舞って、おかみさんは品川の方へ引っ込んで、もう小一年も逢わなかったのですが、きのう思いがけなく川崎で逢いました」
「おかみさんはお六というのだね。亭主は……」
「安蔵といいました。御承知の通り、わたくしは釣り道楽で、鳥亀の亭主とはおなじ釣り師仲間で、ふだんから懇意にしていたのですが、どうも可哀そうな事をしまして……」
善吉の話によると、安蔵は去年の春の彼岸ちゅうに鮒《ふな》釣りに出た。近所の釣り場所は大抵あさり尽くしているので、柴又《しばまた》の帝釈堂《たいしゃくどう》から二町ほど離れた下矢切《しもやぎり》の渡し場の近所まで出かけたのである。ここらは利根川べりで風景もよい。安蔵は夜の明け切らないうちに浅草の家を出て、吾妻橋を渡って行った。それまでは家内の者も知っているが、その後の消息は判らない。それから二日ほど過ぎて、安蔵の死体は川しもで発見された。かれが片手に釣り竿を持っていたのを見ると、なにかの過失《あやまち》で足を踏みすべらせて、草堤《くさどて》から転げ落ちたのであろう。釣り好きではあるが、彼は泳ぎを知らなかった。
鳥亀の女房お六は上野辺で茶屋奉公をしていた女で、夫婦のあいだに子はなかった。その頃、軍鶏屋へ来て鳥鍋や軍鶏鍋を食うのは、あまり上等の客でない。女や子供はもちろん来ない。従って女あるじで此の商売をつづけて行くのはむずかしいというので、お六は思い切って店を閉めた。品川の南番場《みなみばんば》の辺に身寄りの者が住んでいるので、そこへ引っ越して小さい世帯《しょたい》を持つことにした。
「きのう逢ったときの話では、まあ無事に暮らしているということでした」と、善吉は云った。
「釣りに行って死んだ時には、誰も一緒じゃあなかったのだね」
「その時はあいにく安さん一人で出かけたので、どうして死んだのか、よく判らないのです。渡し場の船頭の話では、そんな釣り師の姿を見かけなかったということですから、行くと間もなくすべり落ちたのかも知れません。ほんとうに夜が明け切らないので足もとが暗かったのでしょう。なにしろまだ三十五か六で、可哀そうな事をしました。おかみさんは三十二三の小粋な女ですが、まだ独り者で暮らしているそうです」
善吉がきのう久し振りで出逢ったというお六の人相や服装《みなり》を聞いて、それが彼《か》の中年増の女に相違ないことを半七は確かめた。彼女は果たして鳥屋の女房であった。彼女は店を畳むときに、飼い残りの鶏をどこへか売ったのであろうと察せられた。
それにしても、かの鶏がなぜ旧主人のお六に襲いかかったのか。そのむかし彼女に虐待されたのを恨んだのか、雌鶏が殺されたのを恨んだのか。鶏はどれほど記憶がよいか知らないが、小一年の後までも其の人の顔や姿を見忘れないものであろうかと、半七は又かんがえた。しかもここに一つの疑いは、お六の亭主の変死一件である。その一件と鶏とを結び付けて考えれば、なにかの謎が解けないでもなかった。
「いや、朝っぱらからお邪魔をしました」
半七は下駄屋の店を出た。
三
その次の日の午頃に庄太が顔を見せると、彼はすぐに半七にひやかされた。
「おい、庄太。おれもぼんやり[#「ぼんやり」に傍点]だが、おめえもよっぽどうっかり[#「うっかり」に傍点]者だぜ。例の一件の中年増はおめえの縄張り内の浅草で、しかも眼のさきの吾妻橋に住んでいたのじゃあねえか」
「いや、閉口。すっかり度忘《どわす》れをしてしまって……」と、庄太はあたまを掻いた。「家《うち》へ帰ってから思い出しましたよ。鳥亀、鳥亀……。いつか一度、親分を案内して行ったことがありましたよ」
「むむ。雪駄《せった》の皮のような軍鶏を食わせた家《うち》だ。そこで、きのうはどうした。大森へ出かけたか」
「行きましたよ。相変らず道が悪くって……。あの茶屋へ行って訊《き》いてみると、あれから医者が来て手当てをして、女は駕籠に乗って帰ったそうです。駕籠屋の話を聞くと、送り着けた先は品川の南番場で、海保寺という寺の門前……。それから帰りに覗いて見ましたら、女の家は桂庵《けいあん》で、主《おも》にあの辺の女郎屋や引手茶屋や料理屋の女の奉公人を出したり入れたりしているようです。女は去年の三月頃から引っ越して来て、二十五六の番頭と二人暮らしだが、その番頭というのが亭主か情夫《いろ》だろうという近所の評判ですよ。そこで、番頭というのはどんな奴だか、面《つら》をあらためてやろうと思ったが、あいにく留守で首実検は出来ませんでした。それからね、親分。鶏は助からねえ。その日の夕方に絞められてしまったそうですよ」
「鳥亀の亭主というのは、矢切の渡し場の近所へ釣りに行って、沈んでしまったというじゃあねえか」
「よく知っていなさるね」と、庄太は眼を丸くした。「実はわっしも今朝《けさ》調べて来たのですが、鳥亀の亭主の安蔵というのは、去年の春の彼岸に下矢切で土左衛門になったそうで……。こうなると親分のいう通り、ちっと変な事になりそうですね。これから矢切へ行って見たところで、去年のことじゃあ仕様がねえから、いっそ矢口へ行ってみましょうか。大森のかみ[#「かみ」に傍点]さんは曖昧なことを云っていましたが、ほかの女中にカマをかけて、鶏を売りに来た奴の居所《いどこ》をちゃんと突き留めて来ました。そいつは矢口の新田《にった》神社の近所にいる八蔵という奴だそうです」
「矢切で死んだ奴の詮議に矢口へ行く……。矢の字|尽《づく》しも何かの因縁かも知れねえ。おまけにどっちも渡し場だ」と、半七は笑った。「じゃあ気の毒だが矢口へ行って、あの鶏はどこで買ったのか、調べてくれ。こうなったら、ちっとぐらい手足を働かせても無駄にゃあなるめえ」
「そうです、そうです。こいつは何か引っかかりそうですよ。だが、これから矢口までは行かれねえから、あしたにしましょう」
なにかの期待をいだいて、庄太は威勢よく帰った。明くる日も寒い風が吹いたので、庄太も定めて弱っているだろうと思っていると、果たしてその日の灯《ひ》ともし頃に、彼はふるえながら引き上げて来た。
「矢口へ行って、八蔵という奴の家《うち》をさがし当てました。あの鶏はやっぱり海保寺門前の桂庵の家で買ったということですから、鳥亀の女房が売ったに相違ありません」
八蔵は農家の伜であるが、家には兄弟が多いので、彼は農業の片手間に飼い鶏《どり》や家鴨《あひる》などを売り歩いていた。大きい笊に麻縄の網を張ったような鳥籠を天秤棒に担《かつ》いで、矢口の村から余り遠くない池上《いけがみ》、大森、品川のあたりを廻っていたのである。去年の五月ごろ、彼は品川方面へ商売に出て、南番場の海保寺門前を通りかかると、桂庵の家から呼びかけられて、ひと番《つが》いの飼い鶏を買ってくれと云われた。八蔵は売るばかりが商売ではない。買って売って其のあいだに利益を見るのであるから、承知して売り値を訊《き》くと、幾
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