。信心まいりに来て、風邪《かぜ》なんぞ引いて帰っちゃあ、先祖の助六に申し訳がねえ」と、庄太はもういい加減に酔っていた。
このときに一挺の駕籠がここの店さきに卸されて、垂簾《たれ》をあげて出たのは、かの中年増の女であった。女は金を払って駕籠屋を帰して、これも店口の床几に腰をかけたが、半七らと顔をみあわせて黙礼した。
「お駕籠でしたかえ」と、庄太は声をかけた。
「あるくつもりでしたが、なにしろ道が悪いので……」と、女は顔をしかめながら云った。彼女はほんの足休めに寄ったものと見えて、梅干で茶を飲んでいた。
ここらの店の習いで、庭と云っても型ばかりに出来ていて、その横手には大きい井戸があった。井戸のそばの空地《あきち》には、五、六羽の鶏《とり》が午後の日を浴びながら遊んでいたが、その雄鶏《おんどり》の一羽はどうしたのか俄かに全身の毛をさか立てて、店口の土間へ飛び込んで来たかと見る間もなく、かれはそこに休んでいる中年増の女を目がけて飛びかかった。女はあっ[#「あっ」に傍点]と驚いて立ちあがると、鶏は口嘴《くちばし》を働かせ、蹴爪《けづめ》を働かせて、突くやら蹴るやら散々にさいなんだ。女は悲鳴をあげて逃げまわるのを、かれは執念ぶかく追いまわした。
それを見て、店の男や女もおどろいて、彼らは鶏を叱って追いやろうとしたが、かれは狂えるように暴《あ》れまわって、あくまでも女を追い搏《う》とうとするのである。半七も庄太も見かねて立ちあがると、女は逃げ場を失ったように庄太のうしろに隠れた。鶏は五、六尺も飛びあがって、又もや女を搏とうとするので、半七は持っている煙管《きせる》で一つ撃った。撃たれて一旦は土間に落ちたが、かれはすぐに跳ね起きて又飛びかかって来た。その燃えるような眼のひかりが鷹よりも鋭いのを見て、半七もぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]としたが、この場合、なんとかして女を救うのほかは無いので、手早く羽織をぬいで鶏にかぶせると、店の者も駈け寄った。男のひとりは伏せ籠を持って来て、暴れ狂う鶏をどうにか斯うにか押し込んだが、かれはその籠を破ろうとするように、激しく羽搏《はばた》きして暴れ狂っていた。
不意の敵におそわれて、女は真っ蒼になっていた。くちばしに刺されたのか、蹴爪に撃たれたのか、彼女は左右の脚を傷つけられて、白い脛《はぎ》からなま血が流れ出していた。飛びあがって来たときに
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