|番《つが》いだけが潰《つぶ》されずに残ったので、ともかくも品川まで持って行って、自分の家に飼って置くと、鶏の様子がだんだんに可怪《おか》しくなって、お六らをみると飛びかかりそうになるので、腹が立つやら気味が悪いやらで、かの八蔵に売ってしまったのです。いっそ殺したらよかったかも知れませんが、それを食うのも心持が悪し、殺して捨てるのも惜しいというわけで、捨て売りに売ったのが因果、大森の茶屋で不思議にめぐり逢って、飛んだ事になりました。お六もその鶏に見覚えがあるので、自分に飛びかかって来た時には、はっと思ったと云っていました。それにしても、安蔵の死ぬ五、六日前に買った鶏がどうして旧主人のかたきを討とうとしたのか。世間の人の知らないお六と勇二の秘密を、どうしてこの鶏が知っていたのか。唯なんとなくお六と勇二が憎いように思われたのか。それとも別に仔細があるのか。鶏の料簡《りょうけん》は誰にも判りませんから思い思いに判断するのほかはありませんが、恐らく死んだ亭主の魂が鶏に乗憑《のりうつ》ったのでしょうと、お六は恐ろしそうに云っていました。お六ばかりでなく、昔の人はとかくにそんなことを云いたがりますが、実際はどんなものでしょうか。なにしろ不思議といえば不思議です。
 塚田の屋敷では奥さまの家出、家来の逐電《ちくてん》、おまけに路用の百両が紛失しては、甲州へ出発することも出来ず、さすがの殿様も途方にくれ、屋敷の者共はただ茫然としているところへ、町奉行所からの沙汰があって、金は無事に戻ったので、まずほっ[#「ほっ」に傍点]としたわけです。殺された文次郎は仕方もありませんが、生き残った奥様の始末には困ったのでしょう。結局離縁になって里方《さとかた》へ帰されたようです。
 お六と勇二は前にも申す通り、どっちも疵の経過が悪く、吟味が済まないのに、二人ともに大熱を発して牢死してしまいましたので、その死骸は塩詰めにして日本橋に三日晒しの上、千住《せんじゅ》で磔刑《はりつけ》に行なわれました」



底本:「時代推理小説 半七捕物帳(四)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年8月20日初版1刷発行
   1997(平成9)年3月25日9刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:はやしだかずこ

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