鮫洲を通り越して鈴ヶ森の縄手にさしかかる。勇二は草履の鼻緒が切れたと云って、提灯を路ばたに置いて何時までもぐずぐずしているので、文次郎もどうしたのかと覗きに来ると、勇二は不意に手拭を文次郎の首にまき付けて絞め殺そうとしたのが巧く行かない。そこで、今度は隠していた匕首《あいくち》をぬき出して、滅茶苦茶に突いた。それでも相手は侍ですから倒れながらも抜き撃ちの太刀さきが勇二の右の膝にあたったので、勇二も倒れる。文次郎も倒れる。文次郎はそのまま息が絶えてしまったので、勇二は這い起きてその懐中の金を奪い、その上に大小は勿論、煙草入れから鼻紙まで残らず奪い取って、死骸は海へ突き流そうと浪打ちぎわまで引き摺って行くときに、誰かそこへ通りかかったので、勇二はあわてて提灯を吹き消して、怱々《そうそう》に逃げ出しました。
 鮫洲のあたりまで引っ返して来て気がつくと、右の膝がしらから血が流れる、疵が痛む。跛足《びっこ》をひきながら金造の家へ転げ込んで、疵を洗って手当てをして、その晩はともかくも寝てしまったが、明くる朝になると疵口がいよいよ痛む。刀の先が少しあたっただけで、さのみに深い疵でも無いんですが、ひどく痛む。金造に頼んで傷薬を買って来て貰って、内証で療治をしていると、その翌日の午過ぎに、わたくし共に踏み込まれたというわけです。それですから勇二は逃げるも、どうするもありません、なんの苦もなく召し捕られました」
「金造はなぜ殺されたんですか」
「金造の殺されたのは自業自得《じごうじとく》で……。勇二は先ず塚田の奥様を金造の家《うち》へ連れ込み、その明くる晩に文次郎をさそい出して鈴ヶ森で殺してしまい、文次郎から百両の金を奪い取った上に、奥様を東海道筋の宿場女郎に売り飛ばすという、重々の悪事を企《たくら》んでいたんです。そこで二十五日の晩は無事だったんですが、二十六日の晩になっても約束の文次郎が来ないので、お千恵さんも気を揉み出した。おまけに勇二ひとりが帰って来て、ひそかに疵の手当てなどをしているので、お千恵さんはいよいよ疑って何かと詮議を始めたので、文次郎殺しを覚られては面倒、お千恵を逃がしてはいよいよ面倒と、勇二と金造は相談の上で、二人はここで正体をあらわし、奥様の手足を荒縄で縛って、手拭を口に噛ませて、隣りの空家へ押し籠めて置いたんです。いや、それだけならまだいいんですが、二十七日の
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