ていた孤芳と万次郎を取り押えました。重兵衛は定めて烈火のごとくに怒るかと思いのほか、うわべは静かに落ち着いて、ここでは話が出来ないから兎も角もそこまで一緒に来てくれと云って、万次郎を表へ連れ出した。それはたった今のことだと云うので、孤芳の番人を亀吉に云いつけて、わたくしと幸次郎は近所へ見まわりに出ましたが、今夜は雨催《あまもよ》いの暗い晩で、そこらに二人のすがたは見付からない。よんどころ無しに又引っ返して来て、再び孤芳を調べると、下《さが》り藤の紋の風呂敷は引っ越しのときに重兵衛が持って来たもので、そのまま自分の家で使っていたと云って、現物を出して見せましたが、縁側や畳に血のあとが残っていることは、なんにも知らない、自分は血の痕とは気が付かず、なにかの汚れだと思っていたと、強情に云い張っているんです。
まさかに引っぱたくわけにも行かないので、孤芳の詮議はそのままにして、亀吉と幸次郎を裏と表に張り込ませて、重兵衛や万次郎の帰るのを気長に待っていました。夏の夜は短いから早く明ける。夜が明ければ、二人は何処からか帰って来るだろう。万次郎を表へ連れ出したのは、孤芳の前では話しにくい事があるからで、まさか殺すほどの事もあるまいと多寡をくくって、まあ頑張っていたわけです。そういうことには馴れているので、さのみ待ちくたびれるという程でもありませんでしたが、藪蚊の多いには恐れいりました。今と違って、むかしは蚊が多いので、こういう時にはいつでも難儀します。
そのうちに、そこらの家の鶏が啼いて、夜もだんだんに白らんで来ました。暁け方から空模様がよくなったので、七ツ半(午前五時)には、すっかり明るくなりましたが、二人はまだ帰って来ません。亀吉は焦れて、もう一度探しに出ようかと云っているところへ、重兵衛がぼんやり帰って来たので、亀吉と幸次郎が取り囲んですぐに家内へ引っ張り込みました。万次郎はどうしたかと訊《き》くと、途中で喧嘩をして別れたと云う。おまえは今まで何処にどうしていたかと訊くと、狐に化かされて夜通し迷い歩いていたと云う。さてはこいつ、万次郎を殺して空呆《そらとぼ》けているのだろうと思いましたから、わたくしも厳重に詮議を始めましたが、やはり同じようなことを繰り返していて埒が明かない。そこで、万次郎のことは二の次にして、丸多の絵馬の一件の詮議にとりかかると、丸多の主人に頼まれて偽物をこしらえたに相違ないが、本物と掏り換える約束をした覚えはないと云うんです。それから証拠の風呂敷を突きつけて、だしぬけにお前は丸多の主人をころしたなと云うと、重兵衛は俄かに顔の色を変えました。さあ、その途端に凄まじい響きと共に、大地がぐらぐらと激しく揺れて、この茅葺きの屋根の家が忽ち傾いたには驚きました。
逃げるという考えもありません。ただ跳ね飛ばされたように庭先へ転げ落ちると、なんだか知らないが砂けむりのような物が一面に舞って来て、近所の家は大抵倒れたり、傾いたりしている。一体どうしたのだろう、大地震か旋風《つむじ》かと、みんなが顔を見合わせていると、その隙をみて重兵衛は表へ飛び出しました。表の垣根は倒れてしまったんですから、自由に往来へ出られます。こいつを逃がしてはならないと思って、わたくしも続いて追って出る、亀吉も幸次郎も追って出る。その途端に、激しい揺れが再びどん[#「どん」に傍点]と来て、わたくし共は投げ出されたように倒れました。つづいてがらがら[#「がらがら」に傍点]という音がする。火の粉が飛ぶ……。さては火薬が破裂したのだろうと気がついて、半分這い起きながら窺うと、ここらは火元から距《はな》れているので、まだ小難の方らしく、水車に近いところの人家はみんな何処へか吹き飛ばされてしまったにはぞっ[#「ぞっ」に傍点]としました。
重兵衛はどうしたかと見ると、これも一旦は倒れながら、また這い起きて逃げようとする。この野郎と云って追いかけたんですが、二度の爆発で何処から飛んで来たのか、往来のまん中に屋根が落ちているやら、大木が倒れているやら、いろいろの邪魔物が道を塞いでいるので、なかなか思うようには駈け出せません。重兵衛は裏手の田圃の方へ逃げるので、わたくしも根《こん》かぎりに追って行くと、そのあいだに重兵衛はいろいろの物につまずいて転びました。わたくしも幾たびか転びました。いや、もう、お話になりません。それでもどうにか追い着いて、うしろから重兵衛の左の腕をつかむと、その途端に三度目の爆発……。その時はいっさい夢中でしたが、あとで聞くと三度目が一番ひどかったのだと云います。こうなると敵も味方もありません。二人は抱き合ったままで田のなかに転げ込んでしまいました。これでまあ重兵衛を取り押えたわけですが、こんな危険な捕物は初めてで、時間から云えば僅かの間ですが、馬鹿に疲れたような気がしましたよ」
「そうでしょうね」と、わたしもうなずいた。「そこで亀吉や幸次郎という人達はどうしました」
「わたくしは運よく無事でしたが、二人は怪我をしましたよ。何か飛んで来て撃たれたんですね。亀吉は軽い疵でしたが、幸次郎は右の肩を強く撃たれて、それからひと月あまり寝込みました。ほかにも死人や怪我人がたくさんあったんですから、まあ命拾いをしたと云ってもいいでしょう。孤芳の家も三度目の爆発で吹き倒されました」
「孤芳は無事でしたか」
「さあ、それが不思議で……。孤芳は無事に逃げたのか、どこへか吹き飛ばされたのか、ゆくえが知れなくなりました。万次郎の死骸は川のなかで発見されました。それも重兵衛に突き落とされたのか、夜が明けてぼんやり帰って来たところを吹き飛ばされたのか、確かなことは判りません。ほかにも死骸が浮いていましたから、あるいは爆発のために吹き落とされたのかも知れません。お絹の死骸は床下に埋めてありました。まあ、お話は大抵ここらで切り上げましょう。いや、どうも御退屈で……」
その話の終るのを待っていたように、老婢は膳を運び出して来て、わたしの前に鰻めしが置かれた。
底本:「時代推理小説 半七捕物帳(四)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年8月20日初版1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:Tomoko.I
2000年3月10日公開
2004年3月1日修正
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