あとで総勘定をするという約束で、ひと先ず重兵衛が預かっていたんですが、丸多の主人が死んだ後にも、四の五の云って一文も出しません。万次郎も業《ごう》を煮やして、たびたびうるさく催促しても、重兵衛は鼻であしらっていて相手にしません。そればかりでなく、万次郎を婿にするなどという話も立ち消えになってしまいました。重兵衛として見れば、自分の妾を盗むような奴に、娘をやったり金をやったりする気にはなれなかったんでしょう。まだ其の上に、万次郎を遠ざける為に、だしぬけに孤芳をせき立てて、夜逃げ同様に新宿を立ち退かせて、淀橋の街はずれに引っ越させました。そこには大津屋の家作が二軒あって、その一軒は空家《あきや》になっていたんです。重兵衛が千駄ヶ谷の建具屋に雨戸や障子を頼んだのも、孤芳をここへ引っ越させる下拵えであったと見えます。
 勿論、孤芳の引っ越し先は、万次郎にもお絹にも秘《かく》していたんですが、いつまで知れずに済むはずがありません。それから十日《とおか》も経たないうちに、二人ともにもう探り出してしまいました。それが又、一つの事件を惹き起こすもとで……」

     六

 半七老人の話は終らない。
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