なえて、家内の人たちに悔みの挨拶をした。今夜は親類に知らせただけで、夜が明けてから世間へ披露《ひろう》するとの事であったが、それでも旧《ふる》い店だけに、出入りの者などが早くも詰めかけて、広い家内は混雑していた。
「御検視の済んだものを、わたくし共がいじくるのもいかがですが……」と、半七は親類や番頭にことわって、座敷に横たえてある多左衛門の死に顔の覆いを取りのけた。片手に蝋燭をかざしながら、まずその死に顔を覗いて、次にその咽喉《のど》のあたりを検《あらた》めた。更にその手の指を一々に検めた。
 それが済んで、半七は縁側の手水《ちょうず》鉢で手を洗っていると、幸八が付いて来てささやくように訊いた。
「別に御不審はございませんか」
「少し御相談がありますから、大番頭さんを呼んでください」
 与兵衛と幸八を別間へ呼び込んで、半七は自分の意見を述べた。自分はこれまで縊死者《いししゃ》の検視にもしばしば立ち会っているが、わが手で縊《くび》れて死んだ者があんなに苦悶の表情を留めている例がない。咽喉《のど》のあたりに微かに掻き傷の痕がある。左の中指と右の人さし指の爪が少し欠けけている。それらを綜合し
前へ 次へ
全56ページ中33ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング